一日断酒。 | 私の闘病と懺悔~償い~

私の闘病と懺悔~償い~

私の未熟人格と病気により苦しめ地獄へ落としてしまった
大切な家族と周囲の人々。
そして宝物の「あの子」。

私が病気と認めたのは、やっとの32歳。
私は人生で初めて危機感を持ち、人間復活を目指して
死に物狂いで闘病しながら、償いをする日々です。

アルコール依存症、断酒会には
「一日断酒」という言葉がある。

皆が一日断酒、一日断酒と
合言葉のように
目的や目標を示す為に
自分に誓うように
口にする言葉である。

誰もが例会などで
「一日断酒で頑張ります」と言っている。

決して一滴の酒を飲まぬように
決して一滴の酒に手をつけないように
決して目の前の一杯の酒に手を出さぬように

この「一日断酒」という言葉。
アルコール依存症の人
全国の断酒会の会員様
殆どの人が解釈している意味…
それは、
今日一日を何とか酒を飲まぬように過ごす。
朝起きて抗酒剤を飲み今日一日を酒を飲まぬように過ごす。
自分の中で何か工夫をして今日一日を酒を飲まぬように過ごす。
怒りや悲しみや辛さや苦しさに駆られたとしても今日一日を何とか酒を飲まぬように過ごす。
我慢して耐えて今日一日を酒を飲まぬように過ごす。
飲酒欲求に駆られても辛抱して今日一日を酒を飲まぬように過ごす。
今日という一日を何とか精一杯に耐えて酒を飲まぬように過ごす。
とにかく何とか何とか酒を飲まぬように一日を過ごす。
これらを一日断酒と解釈し、
その一日一日の積み重ねで断酒を継続していきながら酒をやめていく。
これが「一日断酒」という言葉の意味。
殆どの人が、こう解釈している。

しかし、この一日断酒は偽物だ。
これらは単なる我慢の断酒。
我慢の断酒ほど苦しいものはない。

酒は我慢してやめるものではない。
【酒は自然と飲めなくなるものだ。】

本当の「一日断酒」の意味とは、
人間はいつ死ぬか分からない。

今日突然死ぬかもしれない。

人に突然殺されるかもしれない。

通り魔や理不尽な人間に突然刺されたり襲われたりして殺されるかもしれない。

事件に巻き込まれて死ぬかもしれない。

事故に巻き込まれて死ぬかもしれない。

今の世の中は危険が多すぎる中で、
何が起こるか分からない中で、
あまりに突然死ぬかもしれない。

人間の心臓って自分が操れるものではないのだから、いつ止まるのかなんて決めれないもの。

それは心臓が決めるもの。
心臓が決めるんだから突然止まるかもしれないのが人間でもある。

数分前までは元気に会話をしていたのに
数分前までは一緒に笑っていたのに
数分前までは一緒に楽しく食事していたのに
心不全などで突然死ぬかもしれない。

あまりに突然会えなくなるかもしれない。
突然すぎる程に一生涯会えなくなるかもしれないのが悲しかな現実でもある。

それが人間として生まれた宿命でもある。

本当に人間って、
いつ突然死ぬか分からない。

今生きている一瞬一瞬こそが奇跡そのもの。
今自分が生きている今日一日というものは
奇跡そのものであり、幸せそのものである。
明日が来るとは決して保証されていない。
明日が来るなんて確約なんてされていない。

その一日というものはかけがえのないものであり無駄に粗末にしてはいけない。
当たり前の感覚に陥ってはならないもの。
この有り難みに感謝しなければ。

その一日を酒を飲んで暴れたり
酒を飲んで人様に迷惑をかけたり
酒を飲んでまた親に迷惑をかけたり
酒を飲んで死ぬようなことは出来ない。
酒を飲んで廃人として死んではならない。
酒を飲んで失敗した人間として死んではならない。
酒を飲んでアルコール依存症の人間として死んではならない。
そう考えると酒なんて自然と飲めなくなるものである。
これこそが本当の「一日断酒」です。

この意味を知らずに
「一日断酒、一日断酒」
「一日断酒で頑張ります!」
こう言っている人は多い。


🌍断酒とは、価値を残すもの。
自分という人間が生きている意味、存在
その価値を残すものである。
価値を残すのに我慢の断酒は必要なし。

おまけ。
自分の言いたい事が言えない人は
自分の生きている意味、存在
その価値を残す為にも言いたい事は
頑張って伝えていこう。
縛られたり、決められたり、操られたりする為に自分が立ってるんじゃない。
そんな理由で目的で生きているんじゃない。
自分の一度きりの人生の中で
自分という人間の価値を残そう。

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