こんにちは!車椅子トラベラーのみよっちですウインク虹


前回の続きです!


病院で目覚めた僕に待っていた日々は地獄そのものでした。






体の感覚がほとんどない、携帯もいじれない、それどころかご飯もまともに食べることのできない日々。


昨日まで彼女と

「10日後にはディズニーランドだね〜♫」

なんて会話をしてた僕がその数時間後に寝たきり?


信じられない…



それでも3ヶ月後には治るだろう。

1年頑張ればまた仕事ができるだろう。



その薄ーい、うすーーーい希望のみで毎日生きていました。



そして運命の時がやってきました。



入院生活が1〜2週間程度経った後に、医者の部屋に呼び出され家族と横並びになって正式に僕の症状を聞きました。




「あなたは今の医療技術では完治する事は難しいです。ベッド上に寝たきりの生活になると思います。
運が良くて、やっと車椅子に乗れるでしょう。」



隣で聞いていた家族は全員号泣していました。

大切な家族が、一生治らない障害を負ってしまったら僕も同じように泣くと思います。


でも、当事者である僕は涙一つ流しませんでした。




僕は、自分に言われたこの症状が、自分ごととして受け入れられなかったからです。




後から聞いた話ですが、、
実は家族は手術が終わったその時点で、もう一生治らないという症状を聞いていたようです。


それでも入院から数日間はすぐにそれを伝えてしまうと自殺を考える人もいるから、1週間程度空けてから医者が通知する。

という流れだったそうです。


僕は手術後、医者からの通知を受けるまでは家族に



「次働けるまでにどのくらい入院すれば良いのかな〜?」


「バイク修理した?あれレアだからすぐに修理してよね!」


「あー早く○○したいな〜、○○行きたいな〜」




これらの言葉を一生治らない障害を持ってしまった事を知らない僕から聞き続けたことは本当に心苦しかったと思います。


僕はその時の家族のことを思うと今でも号泣します。

父は奥歯を噛み締めてどれだけ耐えたのだろう。

母はどれだけ病室の外で泣いたことだろう。


どう転んでもネガティブしか待っていない人生。


しかし、入院生活の地獄はまだまだ序章。



次回から具体的に生々しい入院生活エピソードを綴りたいと思います。

と、思いましたが少し番外編をば!

苦しい内容ばかりですが、もう少しだけお付き合い頂けますと幸いです虹


今回もお読み頂きありがとうございましたウインククラッカー


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