霊界物語 第一巻 霊主体従 子の巻 <第二章 業の意義> | フリーランス宣伝使への道

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霊界物語 第一巻 霊主体従 子の巻 <第二章 業の意義>

『霊界の業といへば世間一般に深山幽谷に入つて、
出世間的難行苦行の事とのみ考へてをる人が多いやうである。
跣足(はだし)や裸になつて、山神(さんじん)の社
に立籠(たてこも)り断食をなし、断湯をなし、火食(をやめて、
神仏に祈願を凝(こらし、妙な動作を為し、
異行を敢(あへ)てすることをもつて、
徹底的修行が完了したやうに思ひ誇る人々が多いのである。

すべて業は行である以上は、顕幽一致、身魂一本の真理により、
顕界において可及的大活動(かきふてきだいくわつどう)をなし、
もつて天地の経綸に奉仕するのが第一の行である。
たとへ一ヶ月でも人界の事業を廃して山林に隠遁(いんとん)し、
怪行異業(くわいぎやういげふ)に熱中するは
すなはち一ヶ月間の社会の損害であつて、
いはゆる神界の怠業者(たいげふしや)、
亦は罷業者(ひげふしや)である。
すべて神界の業といふものは現界において
生成化育、進取発展(しんしゆはつてん)
の事業につくすをもつて第一の要件とせねばならぬ。』


このように王仁三郎聖師は隠遁的苦行
をする事に対して、強く戒めています。

僕も昔、インド、原始仏教系の修行に興味があった時には
断食や隠遁生活をしようかと思ったりして
世間から離れていた時期があったのですが、
やはり好ましい結果にはなりませんでしたね。

いわゆる天狗系に魅せられるところでした。

社会に馴染めずに復帰するまでにはかなり困難な
道程だったのですが、古神道の教え、特に王仁三郎聖師
の教えに触れ、救われました。

やはり、まずは社会でしっかりと働き、そこでの
色々な人間関係の摩擦に耐え、社会的利益を前に
泰然自若としていられるような中心のしっかりと
した自分を作り、社会貢献をしていくのが
本当の業、行だということですね。

しかし、王仁三郎聖師は27歳の時に高熊山で
1週間の断食行をしています。
その事について王仁三郎聖師はこう語っています。
 
『王仁(わたし)が前に述べた様に山林に
分入(わけい)りて修行(することを批難して
おきながら、かんじんの御本尊(ごほんぞん)は
一週間も高熊山で行をしたのは、
自家撞着(じかどうちやく)もはなはだしいで
はないかとの反問も出るであらうが、
しかし王仁(わたし)はそれまでに二十七年間
の俗界での修行を遂行した。

その卒業式ともいふべきものであつて
生存中ただ一回のみ空前絶後の実修であつたのである。
 
世には釈迦(しやか)でさへ檀特山(だんとくざん)に
おいて数ケ年の難行苦行をやつて、
仏教を開(ひら)いたではないか、
それに僅(わず)か一週間ぐらゐの業で、
三世(さんぜ)を達観(たつくわん)すること
を得るやうになつたとは、
あまりの大言(たいげん)ではあるまいかと、
疑問を抱(いだ)く人々もあるであらうが、
釈迦は印度国浄飯王(いんどこくじやうぼんわう)
の太子(たいし)と生れて、
社会の荒き風波(ふうは)に遇(あ)うたことのない
坊ンさんであつたから、数年間の種々(しゆじゆ)
の苦難を味(あじ)はつたのである。
王仁(わたし)はこれに反し幼少より極貧の家庭に生れて
、社会のあらゆる辛酸(しんさん)を
嘗(な)めつくしてきたために、
高熊山に登るまでに顕界(けんかい)の修行を了(を)へ、
また幾分(いくぶん)かは幽界の消息にも通じてをつたからである。
それ故僅か一週間位で修業の功を顕はしたのである。』


このように王仁三郎聖師は27歳まで社会的なあらゆる
苦痛を味わってきたので、釈迦が数年間かかった
修行を1週間で終える事が出来たという事です。

この27歳までの王仁三郎聖師の伝記は「大地の母」
という王仁三郎聖師の孫にあたる故出口和明氏の
著書にくわしく書いてあります。
この本には出口直開祖、2代の澄さんの伝記も書かれて
いるのですが、読んでいたら壮絶な内容につらく
なる時もあるのですが、読み終わった後は何か厄がとれ
たような清々しい気分になります。

是非、読んでみることをオススメします!

大地の母
http://www.aizenen.info/mo/amo.html

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