霊界物語  第1篇  幽界の探険  第一章 霊山 修業  〔一〕 | フリーランス宣伝使への道

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高熊山(タカクマヤマ)は上古(ジョウコ)は御座山(タカミクラヤマ)と称し、
のちに高座(タカクラ)といひ、ついで高倉(タカクラ)と書し、
つひに転訛(テンクワ)して高熊山となつたのである。

丹波(タンバ)穴太(アナオ)の山奥にある高台で、
上古
(ジョウコ)には開化天皇(カイクワテンノウ)を祭りたる
延喜式内(エンギシキナイ)小幡神社(ヲバタジンジヤ)の在(ア)つた所である

武烈天皇(ブレツテンノウ)が継嗣(ケイシ)を定めむとなしたまうたときに
、穴太の皇子(ワウジ)はこの山中に隠れたまひ、
高倉山(タカクラヤマ)に一生を送らせたまうたといふ
古老(コロウ)の伝説が遺(ノコ)つてをる霊山(レイザン)である。

天皇はどうしても皇子の行方(ユクヘ)がわからぬので、やむをえず皇族の裔(エイ)を探しだして、継体天皇(ケイタイテンノウ)に御位(ミクライ)を譲りたまうたといふことである。

またこの高熊山には古来一つの謎が遺(ノコ)つてをる。

 『朝日照る、夕日輝く、高倉の、三ツ葉躑躅(ミツバツツジ)の其(ソ)の下に、  黄金(コガネ)の鶏(ニワトリ)小判千両(コバンセンリョウ)埋(イ)けおいた』

 昔から時々名も知れぬ鳥が鳴いて、里人に告げたといふことである。自分は登山するごとに、三ツ葉躑躅の株は無いかと探してみたが、いつも見当らなかつた。

大正九年の春、再度登山して休息してをると、自分の脚下(アシモト)に、その三ツ葉躑躅が生えてをるのを見出し、はじめてその歌の謎が解けたのである。

 『朝日照る』といふ意義は、
天津日(アマツヒ)の神の御稜威(ミイヅ)が旭日昇天(キョクジツショウテン)の勢(イキホヒ)をもつて、八紘(ハツカウ)に輝きわたり、夕日輝くてふ、他の国々までも神徳を光被したまふ黄金時代の来ることであつて、この霊山に神威霊徳(シンイレイトク)を秘めおかれたといふ神界の謎である。

 『三ツ葉躑躅』とは、三つの御霊(ミタマ)、瑞霊(ズイレイ)の意である。ツツジの言霊(コトタマ)は、万古不易(バンコフエキ)の意である。

『小判千両埋けおいた』大判は上(カミ)を意味し、小判は下(シモ)にして、確古不動(カッコフドウ)の権力を判(バン)といふのである。

すなわち小判は小幡(コバン)ともなり、
神教顕現地(コバン)ともなる。
穴太の産土神社(ウブスナジンジヤ)の鎮座(チンザ)ありしも、
御祭神が開化天皇であつたのも深い神策(シンサク)のありませることと恐察(キョウサツ)し得られる。

これを思へばアヽ明治卅一年(サンジュウイチネン)如月(キサラギ)の九日、富士浅間神社(フジセンゲンジンジヤ)の祭神、木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)の天使、松岡芙蓉仙人(マツオカフヨウセンニン)に導かれて、当山に自分が一週間の修業を命ぜられたのも、決して偶然ではないとおもふ。

神示のまにまに高熊山に出修(シュッシュウ)したる自分の霊力発達の程度は、非常に迅速であつた。汽車よりも飛行機よりも電光石火よりも、すみやかに霊的研究は進歩したやうに思うた。

たとへば幼稚園の生徒が大学を卒業して博士の地位に瞬間に進んだやうな進歩であつた。

過去、現在、未来に透徹し、神界の秘奥(ヒオウ)を窺知(キチ)し得るとともに、現界の出来事などは数百年数千年の後まで知悉(チシツ)し得られたのである。しかしながら、すべて一切神秘に属し、今日これを詳細に発表することのできないのを遺憾(イカン)とする。






 

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