学校で育むアナキズム/池田賢市 新泉社
p.144
なお、「道徳的」であるということは、「多数」であることと重なっていくことにも注意が必要である。先に「集団行動」のところで指摘したように、いまは、みんなが同じように行動することが「秩序」だと理解されている。そして、それが常識であり、道徳性として理解されていくとすれば、「多数の暴力」ということになっていく。ここからファシズムへの道をイメージすることはたやすい。
誰であっても間違える可能性を否定出来ないということが分かれば、多数決=民主主義ではないと理解出来る筈。
数の力が、すぐに少数者への弾圧に繋がる社会は危ない。