「党風一新の会」の経緯につき、朝日新聞の三輪さんが、しっとりと理解が染み込む筆致で、まとめてくださいました。

 

「自民党人事で抜擢 福田達夫氏が訴えた『政治の危機』」

 

昭和時代、国民生活の常識から乖離した“ナガタチョウの常識”を作っていたのは、政・官・財の<鉄の三角形>でした。

 

平成からこちら、グローバル化が進んだ結果、常識感の軸を国内から国際社会へ移した財界が足抜けしました。その頃永田町の世界に移ってきた僕の目には、その代わりに、それまで国民の側にいたはずの報道の政治部が、政局重視に陥ってそこにはまり込み、<新たな三角形>を形成しているように映りました。

 

この新しい三角形が、ダッチロールを起して「国民常識」から乖離をしてきた。

 

「ナガタチョウの常識」を崩し、視界とスピード感を国民生活と合わせる役割のアクターが、一緒にダッチロールをしてしまっている。それが、会社の中で構造解析をして来た僕の、ナガタチョウ構造の理解でした。

 

「『政治部』ではなく、『政局部』ですから」

 

このセリフは、20年前から政治部の記者さんから聞かれる定番のセリフです。

もちろん、政局も大切です。政治は最終的には権力闘争を含みます。

「狭義の政治」(⊂政局)と、「政策」の両輪で、政治(広義)は前に進みますから。

 

さらには、今回の「党風一新の会」の[総裁候補意見交換会]でも重視したような、「政治観」や「政治風土」なども重要な意味があります。

 

だからこそ、「毎日の新聞記事で消費される(読み忘れられる)」政局記事だけでなく、もう一方のじっくりと時間をかけて政治の理解を染み込ませる、この三輪さんのノートのような政治表現こそが、本来はもっと日本社会に必要なのでは無いか。そう、思います。

 

そもそも国政は、短期的に結果が出ることは多くありません。

国家の枠組みや、常識感(モノサシ)などを変えて、場合によっては物事の本質まで変えるものです。それ故に、僕は爆発的変化を想像させる「改革」ではなく、「変革」という言葉がふさわしく感じます。

 

それを描き表す手法は、このような筆致なのでは無いか。

そういう想像を掻き立てられる、一文です。

 

統治機構改革は、この、<新しい三角形>が、ともにアップデートする必要があると、個人的に考えています。

 

我々政治のアップデートは言うまでもない。その軸となるのは、【政党改革】。

 

官僚機構も、世界の動きには敏感でも、国内の動きにはアンテナが短いですからねぇ。「国家公務員」だから、本当は仕方ないんだけど、今の「国民と総理直結型」民主主義の現状では、そうも言ってはいられない。

(今の僕の立場だと、「政治から報道への云々」という批判が出るのかも知れないけれど、その一言を一旦呑み込んで頂いて)「本当に国民のため」を考えた時の報道の立ち位置を、一緒に考えることはできないのかな。

 

現場の記者さんとは、普通にそういう話、できているんだけど、なぁ。

その3つが同時にアップデートできて初めて、本当の意味でのこの国の統治機構改革ができるのだと、思います。