ねえ ドリカム



わかるよ その気持ち
名前呼んでみるときの心が死んでゆくような
引き裂かれるような気持ち

私も通ってきたから
同じとこでつまづいて泣いたから

ねぇ
どのポケットも思い出でいっぱいのその服にあえて手を通そうよ
もう一度着てみたら案外似合わないことに気づくかもしれない

大丈夫
最悪の時はもう過ぎているから




わかるよ悲しみが人との距離を広げる
時間がもしも味方なら早く過ぎてほしいのに

あのでっかい肩にしがみついて
一番泣きたいときにいないから

ねぇ
どのポケットも思い出でいっぱいのその服を今日は脱いでみようよ
もしかして思うより案外平気なことに気づくかもしれない

大丈夫
最悪の時はもう過ぎているから

私も本当はまだよくわからないけど きっと

傷ついていいの
それほどに思える人と
そんなたったひとりと出会えた
私だから

どのポケットも思い出でいっぱいのその服にあえて手を通そうよ
どのポケットもあなたの愛が一緒に詰まってたことに気づきなさい
どのポケットも思い出でいっぱいのその服をもう脱いでみようよ
どの思い出もあなたの愛と一緒だから大丈夫
いかせてあげなさい

必ず心から笑える日はやってくるから








今年

友達の嫁が死んだときに49日が終わってそいつと飲みに行ったとき歌った歌です。

今日その友達から久しぶりにあの時歌ってくれた歌はなんていう歌?

と電話が来ました。



男手ひとつ

転勤で山形を離れているので

誰にも頼らず

三人の子供を育てているそいつは

奥さんを失っても

大変な置き土産が四つもあるから弱音なんて吐いている暇は無い・・・と言っていました。



えっ?



聞き返すと

三人の子供たちと奥さんとの想い出だそうです。







ふとさっき

今度は七年位前に

オイラの親友が死んだ時のことを思い出しました。



そいつは死ぬ前日も普段とかわらず若い衆を引き連れオイラと朝まで飲んでました。

手首から足首まで全身にタトゥーが入ったそいつは暴力団・・・。

抗争じゃない仕事で死にましたが

その後奥さんも一年後くらいに跡を追うように・・・子供一人を置いて逝きました。





あの時1才か2才だったあの一粒種はどう生きているのだろう・・・。





あの

呼吸器を自らの手で止めた奥さんの心情はどのようなものだっただろう。

あの時集中治療室でオイラは何も出来ずに死亡確認まで

だまって見てるしかできませんでした。




現場で身体半分潰れたそいつを助けようとがんばった

もう一人のオイラの親友はどんな想いだったのだろう・・・。






15年位前

警察と先生をしている両親に対して

妹たちに同じ思いをさせたくなくて

自ら親とオイラ達の目の前で灯油をかぶり火を放って死んだ友達を助けられなかった事も

思い出してしまいました。



バイクでオイラの目の前で死んだアイツ・・・・



精神病院で仲良かった人がオイラの退院の次の日に死んだアノ人は

奥さんと子供に追い詰められ裁判所への提出書類までつくってあげたのに

救えなかった・・・・




両親が首を吊っていたのを発見してウチの事務所に言ってきた

アノ子は今どうしてるだろう・・・・。




オイラ小さい時からまだぶら下がってる一家心中の現場や

まだテーブルの上のごはんがあったかい夜逃げの現場を

幾度となく親に見せられてきました。



親父は『うちもいつこうなるかわからないからな』

とだけいつも言っていました。




キリがないほどの死にも直面してきましたが・・・




だから

自営業だからしかたない・・・。

ご飯なんぞつくってもらったことがなくてもしかたない・・・。

40度の熱があろうと骨折しようと親には言えない・・・。



小学校の給食費ぐらいは自分で稼がないと・・・。

夏休みや冬休みは自分で働いてノートや鉛筆買わないと・・・。




そうやってひねくれて生きてきました。







オイラは生きている。

子供も手元には居ないが存在する。

あの人もこの空の下

どこかで生きていてくれる・・・・・。

オイラはまだ生きている!!!