肱川八大竜王神社を後にして、再び竜王山を目指します。


 Googleマップでみると上図のように表示されるので、「龍王神社」を目指して行きましたが、山頂まで延びる道が管理されておらず、歩くのも難しい状況だった事から今回は、期待していた龍王神社へは行けませんでした。

 まぁ、こんなものかと思いつつ、近くにあった「民俗資料館」に何か無いかと思い立ち寄ると、そこの管理人さんに「竜王山」は野村町にあるので、野村町の図書館に行けば何か分かるかもと言われ野村町の図書館に行くことにしました。


 民俗資料館は城川町にあったので、どうやら竜王山も知らないらしく、でも隣の町なら文化面での影響があるかもと見て回りましたが、特に手掛かりはありませんでした。

 そして予定には無かった野村町の図書館に行きます、「郷土資料」のコーナーが充実していて、1室で独立していますので、期待が持てそうです。

 先客がいたのでチョット待って入ると、嫁さん達に「野村町誌」の竜王山や神社を調べさせて私は独立した竜王山や神社の研究書が無いか探します。

 しかしそれっぽいものが見当たりません?

 後で司書の方に聞くと、竜王山の存在すら知りませんでした。(゚д゚)!

 住宅地図で確認すると、肱川町とのちょうど境で八大竜王神社が肱川町にあるので、ソチラの方が意識が高そうでした。

 しかし近隣の本も充実していたので、肱川町でも竜王山の研究はされていない事は明白なようです。

 そうしていると、近隣の竜王神社の祭神が分かりました、大野ヶ原の竜王神社の祭神には注目すべきは「竜王姫大神」の名前がありました!

 後付の伝承もありますが、祭神は超古代から変わっていないと思います。

 つまり愛媛県の竜王山の主は「女性」である事が分かりました!

 これは重要な意味を持っています、愛媛県には竜王山が一つしかなく、竜王の地位を女性が継承しているようなのです。

 そして住宅地図で見つけた情報がコレ、

 これは竜王山へと続く道の麓の地図ですが重要な地名が書かれているんです、気づけますでしょうか?

 答えはコレ、

 「奈良野」という地名です。♥

 「奈良」とは古代語で「」という意味があるので、ここは「野の国」と呼ばれていた情報が残っていたんです。(う〜ん、興奮!!!)

 町名が「野村町」なので、「野の国→野の村→野村→野村町」となった経緯が手に取るように分かります。

 つまり野島野山となった綿津見山津見はココの竜王姫が「」という姓を名乗った事に由来することが分かりました。

 恐らく「」も「野の姫」から分かれた姓なんでしょうね〜、山口県の「小野田」は三姓の復姓で、「小野」も同じ龍王どうしの復姓になると分かりました!
※「小」はもしかすると、母親の龍王の姓である可能性が高いと思います。

 戸来(へらい)への解釈が正しいなら、小野もユダヤ人由来となり、瀬織津姫は月王家の末裔兼、ユダヤ人の末裔となりますね。
オー怖っ!

 という事は、日本の神道は「道教初期仏教ユダヤ教」とチャンポンとするのが正しい事が分かりました!

 その中で、ユダヤ教の信仰を捨てなかった人達がいて、後の時代になっても遺跡などを遺したと理解する事が出来ますね!

 という訳で、私は元、ユダヤ人らしいです。(大笑い!)

 まぁ本人達は日本人だと思っていたので、外からユダヤ人と呼ばれたダケですから、私もキリストとは親戚である可能性が高くなっちゃいましたね。(有名人の親戚、大笑い!🤣)

 でも自分のルーツを知りたくて始めた研究ですから、今回の成果がどれ程大きいか、日本の歴史をひっくり返せるレベルだと思います。

 という訳で、小野一族とはキリストと親戚になる日本の王族である可能性が高いというオチになりました。m(_ _)m



 龍海