青森県にある「キリストの墓」は「戸来(へらい)村」にあった事から、「戸来」とは「ヘブライ」だとする説が唱えられていました。
私も「へ~そうなのか~」と思っていましたが、今の研究と密接に結びつく内容なので、今回気になった訳です。
キリストの墓があるのは現在の青森県三戸郡新郷村大字戸来字野月33-1になりますが、今回は地名に絞って考察しましょう。
戸山津見とは火之迦具土神の時に出てきた豪族である事は前にも書いた通りです、これがもし渡来勢力だったならあり得る話となります、素戔嗚尊は紀元前後の人物なので時代もキリスト前後となり、辻褄は合います。
戸来という地名も「”戸”山津見+”来”綿津見」の復姓になりますので、これまでの考察にも出てきた組み合わせになります。
調べると単独の「戸山」は一箇所しか無く、大分県日田市に存在していました。
戸島はというと、統計処理後は、
となり愛媛を見落としていたようです。
これを見る限り、戸一族というのは綿津見出身の部族と言えそうで、愛媛に土着した龍王の系譜と言えそうです。
戸島神社の配置から私もミスリードされていたようです、「来島」も愛媛の龍王の末裔と思われますので、「戸来」というのは同族同士の復姓の可能性が高い事が分かりました、その上で「戸」が主導権を持っているように見えますので、兄弟だとしたら長兄が「戸一族」と考えれば良いのだと分かります。
愛媛の龍王はというと例の「石鎚蔵王大権現」の総本山のお寺がある龍王の事です、尾道の石鎚蔵王大権現には神輿のような石の「アーク」があった事を覚えていますでしょうか?
↑ 神輿のようなお堂
いや~、点と点が結びついてきたようです、戸来村のキリストの墓と「失われたアーク」を模したお堂とに接点が生まれました、これに気付いた時点で、後は時間の問題でしょう。
現在でも「戸来」という名字の方は1700人ほど居られます、というか「小、戸、来」の漢字がつく人達は、この血筋が入っている可能性が高いのでどこかの家に「口伝」として伝えている可能性がある訳です。
この私の研究と口伝が結びつけば、それは歴史的に正しいとなり「史料」へと昇華する事になります。
なる程、気になった訳が分かる気がします、金比羅の時にも神殿様式の祠であったりしたので、四国に土着した龍王というのは「ユダヤ系龍王」の可能性がとても高い事が分かりました。
そしてナーガ族の末裔である事もチャント覚えていて、ナーガ族と行動を共にしている様子からも本家と供に封印された感がありますね。
また大分県の日田市に土着した山津見の戸山(山名)ですが、今は小野村の中にある山で地神大王となった小野の領地となっています、当然、偶然ではないでしょう、山頂には「戸山神社」があり、何故か三毛入野命が祀られています。
一気に謎が解けるという訳にはいかなさそうです、熊本県の「弊立神宮(五色人祭をする神社)」と関連してくるのは間違い無いと考えますが、その接点は直接は見えないので、まだまだ紆余曲折があるのだと思います。
しかし青森の戸来村のキリストの墓との関連は分かりましたね、龍王の渡来は紀元前1世紀なので、後から聞いた身内が作った供養塚の要素の方が強そうです。
失われた10支族のうち、数部族はインドへと移住し「龍王」となっていたとして良さそうです、徳島県の白人神社もその関係で建てられたものでしょう。
熊本県まで行きたくなりましたが、台風の後なので、今行ってもろくな事にはならないでしょう、なので来年の「五色人祭り」に合わせて行くとしましょうかね。
龍海