前回、「高、大、鎌、赤、松、岩、石、鍋」について考察しました、今回はその続きです。

 

08)白倉山→「白倉」→「白」→白島

 白島なんてないだろうと思っていたら意外に検索にヒットします、本拠地は島根県隠岐の島と考えられ、分布地域から見ても綿津見の行動範囲と同じだと思います。(隠岐の島を拠点として新羅へと出ていったのかもしれません。)

 

 斯蘆(しろ)→新羅との考察を持っていますが、そういえば有名な「白山(はくさん)」を忘れていました、白山神社の総本宮、「白山比咩神社」を調べると、まず神紋にピクッと反応します。

 三重の亀甲紋出雲系である事を示しています(中はナデシコですかね)、そして白龍とは「高龗(たかおかみ)」又は「帝釈○龍王」のようなので、この末裔が「」を名乗っている可能性は「」でしょう。

 

 高龗(福岡の龍王の末裔で高竜王の血が入っている)闇龗(父親が高靇で、母方が倉かも)も足跡がプツっと途絶えていますし、帝釈天の系譜も分からなくなっています、多くが朝鮮半島へと渡り「新羅」を興したなら納得です。

 

 白山比咩神社へと話を戻すと祭神は「菊理媛尊」です、ホツマツタヱでは「ココリ」と書かれ、アワナギイザナギの父親)の娘として登場します、通称は白山媛なので、母方が「白山」という名乗りなのだと思います。

 

 この時代は紀元前なので、山は支配地域を示しますから姓は「」なのでしょう、十中八九は白龍高龗または帝釈○龍王)の系譜だと思います。

 

 面白いのは菊理姫の義理の妹(養子で妹になっている)に「西王母」がいることで、中国人の西王母が日本へと来ていた事を色々な古文献が書いていますので、史実だと思います、という事は「西王母」も日本人系として間違い無いでしょう。

 

 白龍王の系譜が「」ということに暫定的にしたいと思います。

 

 ちなみに「赤(紅)龍王」はタクシャカ龍王なので、メジャーでも不思議ではありません。

 

09)柴倉山→「柴倉」→「柴」→柴島

 一応、熊本県柴島というのがありますが、これは拠点ではなくて寄港地にしていた島だと思います、なので海神系では無い部族という事になると思います。

 

 だから柴山を調べると分かるかもしれないので、調べると

 何の特徴も無いことが分かります。

 

 この「」がどこから来たのかは不明なので、宿題にしたいと思います。

 

10)戸倉山→「戸倉」→「戸」→戸島

 戸島岡山県倉敷市戸島神社があり、今は「乙島」という地名になっていますが、乙島となったのは龍王が来てから(乙姫の一族)という推測がありますので、それより前にいた部族が戸一族だと推測しています。

 

 戸島神社岡山県の北部と熊本県にあって戸島の地名も西日本に多く有るので、総合すると太伯系または縄文系ではないかと思います。

 

 日本における名乗り「」は中国系の太伯や松一族が持ち込んだ概念だと今のところ思っています、龍王達は中国とも交易・交流していたので最初から名乗りとしての姓を持っていた可能性があるとは思っていますが、日本にいた縄文系が名乗りを必要とする事は少ないと思いますので、それぞれに名乗っていたと思います。

 

 そこへ中国系の単姓の名乗りが定着していって付けた名が「」なんだと思います、太伯系なら最初から「」だとは思いますが、その場合は民と考えますので、ソコソコ有力部族と言えるのでしょう。

 

11)荒倉山→「荒倉」→「荒」→荒島

 拠点が長崎県五島列島にある「荒島」だと思います、調べていると長崎熊本の海神系と結びついている感じがプンプンしていまして、インドにいた時から交流があったのではないかと疑っています。

 

12)土倉山→「土倉」→「土」→土島

 これは完全に想定外の結果になりました、私は「土→槌」となったと推測していましたが、実は逆で「槌→土」になったのだと、この結果は教えてくれています。

 

 島の頃は「」で内陸部に入った後は「」と名乗った可能性が出てきました、槌は「大鎚島小槌島」が元だろうと思われ、槌島の地名には「」がありますので、太伯系の人間がいた所に龍王達がやってきて、太伯系と結ばれ「槌竜王」が誕生したと推測しています。

 

 龍王系となった「槌一族」が生まれ、「足名槌(アシナヅチ)、手名槌(テナヅチ)」が誕生します、足名とは才ノ神の部族が仮の名乗りとして「(直島のチキリ峰の所の才ノ神)」と名乗ったので、「足名」、同じく才ノ神系の「手島」にいた部族が「手名」と名乗り槌一族と結んで生まれたのが二人だと考えます。

 

 だから「足名槌猿田彦天狗大山祇サクラウチ猿田彦天狗大山祇サクラウチ猿田彦天狗月読」と称号が増えていった結果が、記録に残る名前だと思います。

 

○足名槌・・・・・・・出身部族の名乗り

○猿田彦・・・・・・・才ノ神・猿田族の部族長の称号

○天狗(猿田彦)・・・出雲王朝の綿津見三神の一角を示す称号

○大山祇・・・・・・・山津見(山を支配地域に持つ大豪族)の最大王家

○月読・・・・・・・・天つ神王朝により作られた、月王家の男王の称号

 

 他にもあるとは思いますが、やっとココまで解釈できるようになりました。

 

13)矢倉山→「矢倉」→「矢」→矢島

 明らかに東日本に拠点がありそうです、矢島の拠点としては佐渡島と言えそうですが、元々は内陸の人間ではないかと思います、物部の中で「弓矢」の制作に秀でた部族が名乗った(名付けられた)と考えられ、龍王系と出会った時に名乗りを貰ったのではないかと推測します。

 

 なので縄文系の可能性が高いと思います。

 

14)単独の倉島

 単姓の倉一族がいた島が長崎県にありました、龍宮の姓が「」なのも、この長崎倉一族と関係しているからではないでしょうか?

 

 先の考察でもインドに居た時から交流があった事が疑われますので、五島天草の人達は中国インドへ交流していて、王族とも結びついていた可能性は大いにあると思います。(超古代の先進的な部族だった可能性があります。)

 

15)台倉山→「台倉」→「台」→台島

 これも明らかに東北に集中しています、台島としては長崎に一つ「台島」がありますが、これは日高見国に拠点のあった高皇産霊尊系の台一族が龍王系と結んで海上交易を知り、一部が海神となった事を意味するのではないかと思います、なので、長崎にある島が交易の中継点として持っていたと推測されますが、規模としては細々としていたと推測されます。

 

16)金倉山→「金倉」→「金」→金島

 大分県にある姫島の地名が「金島」なので、姫島と呼ばれる前は「金島」だったと推測されます、この姫島黒曜石の採れる所で縄文時代から重要な場所だった所だと分かります。

↑ 姫島の村役場の前にある黒曜石 

 この黒曜石が「」と同価値だったから金島と呼んだかどうかは知りませんが、この地を支配していた部族は縄文系の有力部族である事は間違いないでしょう。

 

疲れてきた....次を今日のラストにしましょう。

 

17)黒倉山→「黒倉」→「黒」→黒島

 黒については玄(黒)龍王がいますので、最初から龍王系の予測があります、加えて「吉備の黒姫」の存在、そしてこの前見つけた「黒宮」(倉敷市真備町)からも岡山県に居た事は確実だと思います。

 

 島としても瀬戸内市に「黒島」がありますので、海の拠点はココだったと思います、当然ながら元は黒龍王だと考えられますので、黒龍王も「高龗または帝釈○龍王」となっていますので、高龗と帝釈○龍王は習合して「黒白」となっていった可能性があるのだと思います。(たぶん切り分けられない。両方の子孫がそれぞれ黒・白を姓にしたから。)

 

 白は斯蘆→新羅国となって、黒は吉備国となって同じ系譜でも生き方が分かれているように思えます、ロマンですね~。

 

 もう一つの色、「」は今回の調査では出てきません、これは伝承から推測できますが、青龍とは「優鉢羅龍王」で一乗寺のある龍王山に土着した事が分かっていますが、児島の伝承から推測できます。

 

原典は「児島民話通り」に紹介されていた「金の竜と青い竜」だそうです、

「昔々、竜王山に住んでいた青い竜が、度々児島の村々を荒らし回ったので、人々は東の大槌島の神に助けを求めた。
 金の槌をもつ大槌島の神は、金の竜に変身し青い竜と瀬戸内海上で激しい戦いとなった。
 黒煙が渦巻き電光は空中を走り、大嵐の中、火を吹き、水をはなち、尾は水面を打ち戦ったが、金の竜はじりじりと追い詰められ島に隠れた。

 いきおいを得た青い竜は、島を十重二十重にぐるぐる巻き、締め付けた。
 突然、島がぐんぐん膨張し、ついに爆発して、青い竜は、バラバラとなって飛び散って行った。
 青い竜の目玉は、竜王山に当たって砕け、水晶となり、今でも時々みつけることが出来る。
 又、竜の体は島々となったり、骨は海中から引き上げられ、下津井の漁師はこれを削って薬としたそうです。
 大槌島には、金の槌がどこかにあるそうな」

 これを読むと分かりますよね、仲が悪かったんでしょうね~、でも力は龍王の中でも頭一つ抜けていたのでしょう、金龍のシャカラ龍王はお釈迦様の血筋という事で筆頭龍王だと思いますので、最強ではなくても他の龍王が味方してくれる訳です。

 

 だから、龍宮とは婚姻関係が作れなかったのだと分かります。

 

 to be continued ...

 

 龍海