『厳島の由来』をテキスト文字に起こしたので、まずは、私と同じ苦労をしてみて下さい。(笑)


 ひらがなで昔の仮名遣いの文がどれ程読みにくいか分かると思います。(その間に、読み易いものを書いています。(笑))

 

 龍海

 

 出典:広島大学図書館蔵 『厳島の由来』(厳島縁起)

    翻刻と解題  妹尾 好信

 後半の復活する所辺りから、

「も、御こつをそろへならべ給ひて、きぬひきかづ
           (ママ)
け、たんをこしらへ、ほつろていきうし、かん」
たんをしだてゝおこない給ふ。日かすかさなり
給へは、あまりの御ゆかしさに、二百日おこない
給ふをまちかね給ひて、百九十七日と申には、
うへのきぬひきのけて見給へは、もとの御
すかたにすこしもかはりたまはす、そんひんと
して御くしはかたのまはりにはうはうと
おひかゝりたまへるを、おしおこしたてまつる。
ころは九月十四日のうしの時とかや。せんさいわう
なのめならず悦ひ給ひて、大わう、きさき」
もろともに、いにしへの御ものかたりともかたり
おはしまして、たかいに御なみたにむせひ給ひける。
そゞろにあわれそまさりける。さても、大わう
はみねのたきゞをこり給へは、きさき、わうし、
もろともにたにの水をむすび、御ひじりの
ごおんのおくり給ふ。そのとき上人のたまふ
やう、「此國にはほんふのたやすくすむせかい
にても候はす。しんつうとふくるまにのせ、
かへり給ふへし、とありければ、せんさいわう、」
            (ママ)
きさきよろこひ給ひて、御くまにめされ
けり。ひじり、御まほりよりみつのけんをとり
いたし、「此けんとゝまらん所をすみかとさた
め給ふへし」とて、みなみにむかつてなげ
給へは、一つはりうくうしやうとにとゞまり
給ふ。一つはしやからい国へとひ給ふ。あらためて
                   (ママ)
たいりをつくりいれたてまつる。しはしすせ
せ給ふ所に、せんさいわういかゝおほしめし
けん、きさきの御いもうとにおもひつき給ひ」
て、もとのきさきの御事をつぎになし
給ひけり。さてもきさきはこれをうらみ
給ひて、「かゝるうきよにあれはこそ」とて、
またとぶくるまにめしてとひ給ふほとに、日本
あきつしま、いよの國いしつちのみねに
はしめておちつき給ふ。「このみねにはもと
はいはつかさのごんげんすみ給ふなれば、
あるヘからす」とて、あきの國さゝいのこほり
かわいのむらといふ所におちつき給ふに、」
なにはのきやうはりまの國いなみのに
しかあり。このしかのなくこゑをきく人
みなたましいをけす。また、すいこうてん
わうのちよくちやうとして、「いかにしても
このしかをおいとりて申べき」よしせんし
給ふ。かの国のちう人さい木のくらんどに
おほせくたされけり。くらんと、いんせんをう
                △
け給はり、「これてのものをたゝよつねの
ゆみやにてはかない候まし」とて、いなばの」
くに大とりいのこほりゑゆきて、かねのゆみを
つくり、このくにヘくたり、かのしかをおいとり、
ていわうにたてまつる。そのしかのけのいろ、
よのつねのしかのけならす。日月しやう
しゆくのほしあさやかにして、いろさなから
こんしきなり。見るに、おもてもかゝやくばかり。
ていわうこれをゑいらんあって、いんせんに、
「むかし九しきのしかあり。すなはちこんしや
なり。いきなからとりてまいらせすして」
     (つたいカ)
せつかいもたつ□なし。たとへよのつねのしかな
りとも、こんしやをかいするは大せいのつみなる
へし」とて、かのくらんとをは、あきの国とすわう
の國とのさかいに、大たきといふ所にながされ
けり。せめての事に、たゝかねこまをしてゝ
おんかのしまのあたりをすくる所に、にしより
くれないのほかけたるふねきたり。ちかくなる
をみれは、こんごんるりのとまのなかに、まこと
にけたかきびぢよ一人おはします。そのとき」
くらんと申は、「いかなる國のいかなる人にて
ましますそ」と申ければ、びぢよこたへて
(の給カ)
給ふ。「われはこれ、なんてんぢくのさいしやう
國のてんにちわうのひめみやなり。日ほん
ごくあきの國にきたる事、わうしやうに
ちかつき、しゆじやうさいとのためなり。われ
すてにうへにのそめり。はやはやくんこうを
まいらせよ」とありけれは、くらんど、「なにを
        (ママ)
まいらせん、と申けは、「米をうしほにてあらい」
まいらせよ」とおほせける。「さらは」とて、くろます
           (ママ)
のしまに御ふねおよせ、「かしをとりてまいり候」
                (ママ)
とて、「その御かすはいかほと」ゝ申けは、大みや、
  (ママ)
「ひかり八つ、みきは九つ、中は十六」とおほせけり。
さては三十三せんそなへたてまつる。さて、かの
くろますしまを御らんして、「てんぢく
のおかのしまにもさもにたり」とて、たきの
(ママ)       (ママ)
から、みかさのはまのあとをたれ給ふ。かの御ほう
てんならびに百八のくはいらうをたてたまふ。」
「いまたこれほとのしまをみす」とて、「いつくし
きしま」とおほせあるによつてこそ、いつく
しまとはそれより申はしめけり。御たく
せんにてをりどのをはじめてたちいれた
てまつる。大御せんと申なり。あしびきのみや
の御事なり。御ほんち、たいさうかいの大日也。
        (ママ)
又、あとよりせんさわう御たつねさせある
によりてこそ、まらうとの御せんと申なり。
せんさいわうの御事なり。御ほんぢひしや」
もんてんにておわします。たきの御せんと
申たてまつるは、からびくせんにての御わう
じの御事なり。御ほんぢせんじゆくはんをんに
ておはします。ひじりの御せんと申はかいらい
国の上人の御事なり。ほんぢ、ふとうめうわう
なり。あらゑびすと申は、しまのあんない申たる
くらんとの御事。はやたの御せんと申は、さいしやう
 (ママ)
国のふみもちまいりたる五からすの事也。かわの
みやと申は、千人の中になさけあるきさき、」
せんさいわうの御はゝきさきの御事也。
さても、御まつり、三月十五日、九月十四日なり
けれは、御くびきられさせ給ふ日なり、三月
十五日は。かいらい國にていのりかへし給ふ日は
九月十四日なりけれは、それよりこそ二きの
御ほうゑを御ついせんとは申なり。六月十七夜
にくわんげんをおこない給ふは、とうじやう
国にてせんさいわうこいにおもはせたまい
し時なぐさめたてまつるいはれとかや。いつ」
くしまにしかおちかつけ給ふ事、からひくせん
にて十二ねんのあひだわうじをやしないしゆ
ごしたてまつるゆへに、御むつましくおほし
めして、かせぎをちかづけ給ふなり。御まへに
すせんさうのふねをうかべたまふなり。大せん
にんのみなしこをさいとの御ぐわんなり。されは、

しゝたる人をもとのごとくにおこないかへし
て候へは、百三十日にみたると申せとも、五年
と申五月五日むまのこくに、さゝいのこほり」
かわいのむらにて、五たいみたれしなり。それ
よりぢの御せん御まつり、五月五日にあり。さん
のいみは七十五日、しゝたるいみは百日なりと
さため給ふ、そのいはれなり。しかをがいせん
ものには、ばだいをあたへべからす。このしま、三
べんじゆちしつふくしよしゆんの所なるヘし。
ほうけんじやうどの、によいくわうめう、そうも
くをいたゞき、なんかくしやうじゆのつき、なみ
まのあいだにかげをうかへ、大ぢ大ひのみつは」
はつはうのたにたににみつ。たきのみやの
いぬいのすみちかけれは、しゆふくのたつみとも
いゑり。くわんげとうの三ぶつなり。そのとき
しんこんをかうけとして、つねにこのしま
にきたるべしとて、三つのけんをいはやに
これあり。これはひるはしやなきやうをたつし
給ふしどうしやうなり。なんでん九おんおんを
をすみのかたちなり。三じゆのほたいをた
すけ三みつのほうをたすけんとあり。その」
時、くらんと、この事をうけたまはりて、きいの
思ひをなして、そてをしぼりて申さく、「われら、
いやしき事をはてんをもつて上にそう
                (ママ)
もん申候はんは、いかなるべし」とと申されけれは、
御たくせんにいはく、「うしとらのすみにきや
くしんしやういて給ふ事あるヘし。たつね
おどろきあやしみ給ふべし。そのいんせん
に此よしさうもん申へし。そのとき五がら
すおほくあつまりて、さかきのゑたをくはヘ」
て、みやこゑあつまるヘし」と御たくせんある
によりて、くらんと、わうしやうへのほり、
此よしをそうもん申。同しくからす、さ
かきのえたをくはヘて大りへまいる。又これか
 (ことカ)
申□くにてんへんをなしいでたまへる、
 (ママ)
くげに大におとろきまします。やうやう
の御いのりあるに、くらんとうちうべんに
なさるゝ。御くうてん、百八十てうの御しゆり
のそまやまはてうごきしんせんじ、おなじ」
きとし十二月廿一日、御ほうでんにおさめたて
まつる。めうねんの二月はしめ申、ほうへの
さくぢをはしめ、さかき五へいと五からすと
       (給カ)
しゝやとさためいふ也。かのすいこてんわう
のせんじのじやうにいわく、「あきの國いつく
しま大みやうじん、御くうてん百八十てう
をいまよりのち、たう國は八人のこくし
かのふくてんをそへたてまつるべし。きやう
しのしそん、さらにかみのくらゐをかろしめ、」
しやけをわつらはかすへからす。これまつ
だいによつて、おんしやはいとうこくちう
いもくひはたをかさねて、みやこへほん
そうすへからす。ほうしんをあらためんとき
は、しんぢんをつくし、百日百夜けつさい
して、にしきをもつてておまき、その
うへをにしきにてつゝみ、おもてをかく
し、せんめをたれて、百日のあひだひゞに
御きうしのとき、そのいてよくよく五かい」
をたもつて、つつしんて御たくせんに
したかいて、しうしんをつとめたてまつるべし。
うやまつて申さくのみ、くたんのごとし」。
たんしやう五年きのヘさる十二月三日、う
ちうべんにおさめ、あきの國いつくしま
大みやう神御ほうてんにおさめたてまつる
べし。されは、大みやうしんのちかはせ給ふは、
「われをねんずるしゆしやうには、かうせんふつ
き、しそんはんじやううたかいあるべからす。」
たゞし、ふしんのしゆしやうはしそんかなら
ずたへはて、そのみはすなはちわるくなるべし」
         (ママ)
とちかはせおはしますす。せうじんの
べんざいてんとけんし給ひ、一さいしゆじや
うのしよぐわん、なんそまんそくせさらん
や。しよふつのほんぢまちまちなれとも、あく
まをはらい、ふつはうをしゆごし給ふこそ、
たもんふくてんすぐれたりとて、いつくしま
大みやうじんとあらはれ給ふなり。このほん」
ぢ一たひよみたてまつれは、十ど
御まへにさんけいしたるよりまさるべし
との御せいくはんなり。ほうけん二年三月十六日
に、きよもり、いつくしまをおほしめしたち、
おなじくじしやうくわんねんにこのゑん
ぎを御ほうてんにおさめ給ふ也。かならす
かならすひすべしひすべし」