次は石津神社ですが、これは大阪に大きなものがあって、そちらが有名そうです。

↑ 大阪の石津神社(古代は海の中なので割と新しい事が分かります。新しいと言っても平安時代よりも前。(笑))


 大阪石津神社延喜式神名帳にも名前が残る「古社」ですが、祭神は「事代主」で、私から見ると明らかに祭神が置き換わっています。

 

 金比羅神社もそうですが、「どこの神社が管理するか」を決める際に、ある程度淘汰が進んでいた時代には後継者が居なかったのだと思われます。

 

 だから石津神社の本来の祭神から「管理する者」の祭神と置き換わった結果が現代の祭神となり、本来はそれよりも前の神様が祀られていた事が祭神と神社名が一致しない事から分かるのです。

 

 児島の「石龍大明神」の存在から、「」姓は龍王の血筋である事が濃厚となっています、そして発祥地も「児島」と考えられる事から名字に「」が入る名字は全て「石龍」の血筋である可能性さえあるのです。(明治の新姓と地名に由来する名字は別ですよ・・・・)

 

 その石姓の手がかりを求めて行ったのが今回の「石津神社」になります、神社名の意味として考えられるのは、「①石津(いわつ)、意味:石という名前の港」に由来するもの、「②石津(いわつ)、意味:石の...」の二つだろうと思います。

 

 まずは地名を確認すると、

 小字までは分かりませんが、「石津」ではなさそうです。


 古代に於いても陸地であった事が、この図からも分かりますね、南は吉備の穴海なので、拠点の一つであった可能性があります。

 

↑ 神社に続く参道です、狛犬は新しい 

↑ 拝殿に見える手前は「神楽殿」のようでした、その奥が拝殿、さらに奥に本殿がありました、この様子からも「とても古い神社」である事が分かると思います。

↑ 拝殿の壁にある懸額

↑ 古代の神社では「」をご神体として扱っていた事は児島大ヶ島の神社を見ていると分かります、この岩もご神体の一つであり、この神社が古代に遡る記憶を持つことを証明してくれています。

 

 現地では上記のように「とても古い」事は確認できましたが、直接的な古代史に結びつく情報はありませんでした。

 

 では帰ってから神社を調べると、「石津(いしず)神社」と読むそうです(古代の読み方が失われているだけだと思います。)、祭神は「野見宿禰,応神天皇,菅原道真」と書き換わっていました。

 

 しかし江戸時代の本には「石津大明神」とあり、個人の名前としては’分からない’が正解のようです。

 

 しかし「石一族」の社だった事は間違いないのでしょう、大阪の「石津神社」も行き宮だった所なんだと思います。(古墳〜奈良時代にも石一族が単独で存在していたか?)

 

 「長島」という島や、「石島」もありましたので

 これらを支配した「石一族長一族」の復姓を持つ母の娘が「磐(石)長姫」だと考えられます、だから拠点が「岡山県」である事も、「龍王」との関係も理解出来ると思います。

 

 この様子からはどこかに「決定的な証拠」がありそうな気がしますが、香川県なのか、兵庫県なのか、どちらかかも知れません。(岡山県にある三箇所の岩長姫神社にはありませんでした。)

 

 龍海