児島にあった龍宮山の場所を求めて、児島の市立図書館に情報を求めて行ってきました、今回「龍宮山」の情報が書かれていた『岡山県児島郡誌』は大正4年に刊行された本で、実はその後に水島地域が干拓されて「福田」という地名が倉敷市に移っているのです。
本が書かれた頃は「児島郡」として独立している頃なのですが、児島郡が児島市となり倉敷市と児島市が合併して、今の倉敷市となった歴史があります、その過程で福田の干拓地域が主流となった今は「児島という意識」が無く、水島という地区に組み込まれていました、つまり「福田」の情報は児島に無かったのです。
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しかし司書の藤田様が協力してくれまして、他の図書館や歴史資料整備室などに連絡をしてくださり、地元の福田史談会が発行していた、
『史上の福田・伝説 4上
天石門別保布羅神社
石洞神社
高橋 彪 編著』
から龍宮山とは今の「岩瀧山」だろうという事が分かりました。
本にはこう書いてありました、
「雨乞いの祈祷場所
戦前までの日照りの年には、広江村民は「岩滝山」の山頂で//雨乞い祈祷//を執行していた。通称「龍宮山」の山名も、この//雨乞い//行事を執行する場所から名付けられた通称山名と考えられる。
この「岩滝山」の山頂が、//雨乞い//の場所に選ばれたのは、この「岩瀧山」の山頂が、古代から「聖地」とされていたからではあるまいか。
つまり、古代祭祀遺跡『磐座、磐境』の存在が、広江村民の//雨乞い//の聖地として『神事』執行の場所として生かされていたものと推測される」
そして、もう一つ、干拓地の「中畝」という所に「龍宮神社」があるという情報も得られました、
しかし今の地図には「素戔嗚神社」と「中畝神社」しか表示されません、
この情報を元に、中畝神社を管理する「福田神社」、神社庁、岡山県の総務学事課へ問い合わせましたが、「龍宮神社」の存在は確認出来ませんでした。
この龍宮神社がどこから勧請されたものか、モチロン一般的な神社ではありませんので、他の地から勧請する理由はほぼ無いと思います。
あるとすれば中畝という所へと入植した個人又は団体が、祀っていた神社だろうという事が問い合わせた結果から想定される結論です、モチロン普通は個人が祀る神社は氏神だろうと思いますので、龍宮神社を祀っているなら、その末裔か、ずっと管理をしてきたからという理由が一般的だろうと思います。(その場合は地域では無く、個人所有の神社だろうと思います。)
誰がどこから龍宮神社を勧請したのか、その最も有力な候補が龍宮山になると思います。
土地の古老に聞くより他はないのですが、また現地に行き、龍宮山へも当然行きたいと思っていますので報告をお待ちくださいね(笑)。
龍海