伊都岐島(厳島)の現地からは特段の情報を得られなかった事から、文献から捜索を開始しました、ネットを検索していると、下記のページを見つけ、よく調べられていたので、概要はほぼ掴む事が出来ました。

 

 

 『延喜式』だけではなく、楽音寺蔵『安芸国神名帳』や『壱岐国神名帳』とみられていた『伊都伎島神社古神名帳』から考察された結果を見ると、

 最初に祀られていたのは「南無伊都伎島大明神 正一位上」とあり、「南無」がついています、「南無」とは仏教用語(サンスクリット語)で「伊都岐島大明神を敬愛し信仰いたします」といった意味になります。

 

 この表現が残ることこそが神道には初期仏教が含まれる所以なのですが、不満なのは神仏習合の結果だと皆が思い込んでいる事にあります、その思い込みも解けつつあるようなので、今、日本の世界観はこれまでにない拡がりを見せているのですが、それはまた別の話なので考察を続けると。

 

 今の厳島神社に無い祭神がズラっと並んで居ます、「中宮」が正一位ですが、中宮とは皇后と同じ意味になりますので、伊都岐大明神中宮と考えられ、伊都岐大明神皇后だったようすを伝えています。

 

 しかし伊都岐とは二代目シャカラ龍王七面天女の娘だと私は考えていますので、誰の妻になったのか? となり、その次の代というと、大山祇サクラウチという事になり、これは逆にオカシイだろうとなります。

 

 では、七面天女の娘という解釈が間違っている、又は日本における初代シャカラ龍王が認識が間違っている可能性があることになります。

 間違い探しのような図ですが、初代シャカラ龍王が日本に来た時の最初のシャカラ龍王で、九鬼文書において「宇摩志阿斯訶備比古遅神(古事記の表現)」だと考えますので、大王となってわりとすぐに亡くなった(または、大王から降りた)と考えられます。

 

 シャカラ龍王が葬られた地が岡山県笠岡市の「神島(こうのしま)」で、島の名は生きている時は「高島(こうのしま)」だったと推測しています。

 

 そこを継承した二代目のシャカラ龍王(姓は「(こう)」)へ嫁いだのが二代目の七面天女であり、弁財天であり、三代目伊都岐だったと考えられ、同時に皇后になっていると捉える事ができます。

 

 家の口伝で「弁財天」が支配したとする口伝を伝えている家の方から聞いていた事もあり、このような考察に及ぶ訳ですが、イサナギイサナミの前の天皇のどれかが、二代シャカラ龍王三代目伊都岐じゃないかと思います。

 

 モチロン情報が足りないので、この考察は私の中でも60点ほどだろうと思います、考察は続きます。

 

 七面天女の子供についてです、「別若宮(わけのわかみや)」が正一位でいます、これは伊都岐の子供だと考えられ、かつ「(わけ)」とある所から「分家」したと考えられます。

 

 この分家した子供が祀ったと考えられる神社北海道にあります。

 寿都郡寿都町字磯谷町横澗1217番地にある「伊都岐島神社」になります、この神社の祭神は「市杵島姫命」と厳島神社と同じく書き換わっていますが、これは祭祀する神様を協議した時に置き換わったと考えられますので、それこそ「卑弥呼」の時代に変わった可能性があります。

 

 神社の名前が「伊都岐島神社」とある事からも分かる通り、この神社は古い記憶を残しています。

 

 ちなみにGoogle Mapで「伊都岐島神社」で検索すると、日本で四カ所しかヒットしません、それだけ古名を伝えている所は少ない事が分かります。

 話を北海道伊都岐島神社に戻しますが、この神社由来として「創立年代未詳。アイヌの人々が木幣(イナウ)を祀り海上安全と豊漁を祈念して弁天社と称したことに始まるといわれている。文政年間に磯谷場所の請負人であった柳谷庄兵衛が新たに木像を祀って社を再建し磯谷の総鎮守として崇敬されていた。明治9年10月に村社に列せられる。」と伝えます。

 

 伊都岐弁天だと直接的に伝承している事が一つ、もう一つ重要な事は「アイヌの人々」が伊都岐島神社の古名で祀っている事実です、先ほど書いた通り古名を伝える所は僅かです、その古名をアイヌの人が後代に聞いたとするのは不可能に近く、アイヌの一部は「伊都岐島女」の子供の末裔である事が考えられます。

 

 これは私の考察からも一致しており、アイヌの宗教は古代の日本人と同じであり、むしろ原始的な部分をよく残している印象があります(『東日流外三郡誌』に宗教は書いています。)、そして直島に残る才ノ神の地名、及び山名の「チキリ峰」は才ノ神が名付けたと考えられる事、「チキリ」の意味がアイヌ語で「」だと分かる事、足名槌(あしなつち)→大山祇サクラウチは部族名は「才ノ神」だが名乗りを「」とした事から、「足名」という部族名の扱いとなり、槌一族との復姓を名乗っている事。

 つまりアイヌとは才ノ神系であり、伊都岐の末裔や大山祇を生んだ部族でもある渡来系の一族の可能性というのが正しく、縄文時代から居た部族という認識が間違っている可能性があるのです。(元を正せば縄文人でもあるので、縄文人の風習をよく残す部族と呼ぶべきかもしれません。またはクナト王系が縄文人の流れと結びついた部族が才ノ神かも知れません。)

 

 という訳で、伊都岐を調べると龍王は出てくるは、七面天女は出てくるは、弁天は出てくるはと、古代史における「重要なキーワード」である事が分かります。

 

 逆に言えば「伊都岐」をこれまで調べていないので(調べていても見え方が違うので気付かない)、古代史が明らかに出来なかった事が分かります。

 

 日本の本当の姿はもうちょっとしたら、龍海が明らかにするかも知れませんので、期待半分ぐらいでお待ちください。(笑)<(_ _)>

 

 龍海