尾道市や三原市の龍王山の配置を見ていると、龍王(親)と竜王(子)の関係が見えてきます。
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松永の竜王山は「八大竜王」を祀っていたので岡山県の美星町の八大龍王の子竜が支配した山だと判断しました。
他の龍王山からは2つの竜王山が誕生している様子があります、これは支配下にある人達の人数が関係しているのでしょう。
独立して分家するにはそれなりの人々が必要(軍事力)だという事なのでしょう、畑はあったかも知れませんが、龍王達はお米は作っていなかった様子があります。(だから支配地のシンボルが山なのだと思います。)
で、今日は尾道市の町中にある竜王山です。
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竜王山には「竜王山山門」という訳が分からない表示が出ます、下にある学校横の住宅横から山へと入って行きました。
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雨で葉っぱが濡れ、スベりそうな山道を行くと柱鳥居が見えて来ました、どうやらコレを「山門」と表現しているようです。
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表示には山門とありますが、「柱鳥居」と考えるべきだろうと思います、つまり昔は神社として存在していた所だと思います。
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山を登って行くと石仏群が現れました。
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中国系の様な石仏もありますね、詳しくないのですが、仏様の一人でしょうか?
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磐座の上に石仏達が置かれています、仏教に偶像信仰が始まったのかは何時かは分かりませんが、それ程古いものでは無いと思います。
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尾根に出ると井戸の様な丸い穴があり水を湛えていました。
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山の中腹に石塔群が見え始めました。
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祀られているのは「蔵王大権現」です、石鎚神社では石鎚毘古命を祀っていますので、神社としては石鎚神社の系統で、祭神は蔵王大権現となるのでしょう。
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この主祭神を祀る石組みの上にある社は明治時代のものでしたが、この石組み自体は古代の様式を写していると考えられます。(他に見られない様式なので、この地に元々、この様式のものがあり、明治10年に石組みにて作り直した。)
下からみると神輿の担ぎ棒に見える所にポイントがあります、これは「失われたアーク」を表現している様に見える所です。
アークとはユダヤ教やキリスト教に伝える「契約の箱」の事で、日本のお神輿の様に飾られて担ぎ棒にて担がれていたと伝わります。
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つまりこの遺物はユダヤ系の竜王である事を伝えているように思えますが、問題は石仏群が古く無い点です。
いずれも明治時代のものが殆どのようでありますが、階段などの雰囲気はとても明治なんて新しいものでは無さそうです。
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左から撮った写真です、鳥居があり神社としてあった事が分かりますね。
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帰りには表参道から帰りましたが、石段の脇に狛犬ならぬ、狛仏がありました。
こんな表現は初めて見ましたね。
(゚д゚)!
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参道脇にある磐座群です。
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急な階段が磐座群を貫く様に構築されています、修験道系の神社であった様子があり、龍王系の神社である事を強く感じさせます。
しかし情報不足である事がいなめません、この施設がいつからあるのかを含めて、竜王との関係を調べてみたいと思います。
龍海