次の竜王山尾道市向島にある竜王山に向かいました、近くに関係の有りそうな神社が無く、「まぁ、近くを走ってみようか」と行った所、見つけたのは「天女浜神社」でした。


 厳島に関係して「七面天女」の伝説でもあるのかと期待していきましたが、その結果は………



↑ 天女浜神社


 神社の紹介文とかが無かったので調べると、ここは元々海で「海の中の小さな島」だったそうです、そこに神様を祀って「沖明神」とし、沖明神を中心に塩作りをしていたそうてす。

 元禄頃(江戸時代)の話です、6番堤防がいつも切れてしまい苦労していたそうです、そうした所、ある男が女の人が人柱になる夢を見たそうです。

 それで村はずれでお教を読んだりしていた女性に相談すると、女性は住まわせて貰ったお礼にと人柱になってくれたそうです。

 それ以降は堤防が切れなくなり、その女性は天女だと言うようになって「天女浜」となったそうです。

 私としては、七面天女とは関係が無くガッカリしたのですが、元は「沖明神」という名で塩作りをしていた話には非常に納得をしたんです!!!

 何故かって?

 コレを見て下さい。

↑ 小さな神社なのに灯籠の多さが信仰の厚さを物語っています。


 この神紋を覚えていますでしょうか?

 「八重桜三つ柏」、そう、素盞鳴尊三つ柏)と稚桜姫八重桜)の子供、「塩土老翁(しおつちのおじ)」の神紋になるんです。

 塩釜神社の神紋には「八角」はありませんので、この地に来た時の紋が八角空神)だった事を物語っている神紋になります。(神社から超古代の情報が読める様になりましたね。)

 塩土老翁は全国に塩の作り方を広めて廻った事で名が知られていますが、向島沖明神とは塩土老翁の事だったのです。

 つまり1世紀頃から塩作りを江戸時代の中期、元禄頃まで塩作りをしていた証拠だとも言えるのです。

 そして塩土老翁の事は伝承していませんから、向島天女浜には塩土老翁が来て塩作りを指導したという新発見の情報になるのです。(これが塩釜神社なら後代の勧請となり、新発見とはならないでしょう。)

 逆に竜王に関する情報は何もありませんでした。_| ̄|○

 その後、因島に渡って龍王山の麓の狭い道をウロウロしましたが、コチラも手掛かりがありませんでした。_| ̄|○

 一つだけ、地元の人が祀ったものがあり、龍王と関係あるのかないのか、分からないものがありました。




 「大地主神」と書いて、オオトコヌシノカミとは聞いた事の無い名前です。

 一応、出雲神様らしいのですが、「」と名乗るのはメソポタミア由来の龍王系だと言えますので、もしかすると、早々に出雲へと移動した為に地元に名前が残っていないのかも知れません。(それなら、出雲大地主神因島向島出身となりますね。(笑))

 ということで、因島に土着した龍王の名前の可能性がありますので、ご紹介しておきたいと思います。

 龍海