お堅い話ばかりだと疲れるので、前から気になっていた「鶴と亀」の事について新情報を見つけましたのでご紹介します。

 

 かごめかごめの歌詞、

「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が統べた 後ろの正面だあれ?」

 

 この歌詞は古代史と結びつけて考える人が多く、でもいつの時代の事なのか、誰の事なのか、そもそも本当に史実を表しているのか? 疑問とともに語り継がれて来た歌になります。

 

 籠目とは、

 写真のように「六芒星」と同じになるため「日ユ同祖論」でもよく取り上げられるシンボルになります、とは「籠神社(このじんじゃ)」とも通じ、籠神社では「息津鏡」・「邊津鏡」が伝世されており、籠神社にある天真名井には六芒星のシンボルが使われています。

(↑ 真名井神社の石碑(古いものにも六芒星がある) ↑イスラエルの国旗)

 

 これらから、籠=籠目=六芒星という方程式が生まれ、ユダヤの王であるダビデ王、六芒星はダビデの星とも呼ばれる通り、ユダヤ人のシンボル的な文様になります。

 

 日ユ同祖論ではユダヤ人が日本人になったので、世界のユダヤ人と日本人は「同祖」になるというものですが、私の研究からは日本人が世界へ出てその内のヤコブの系譜が周りからユダヤ人と呼ばれ、その内の数グループが日本へと帰って来ていると推測しています。

 

 クナト王系と一緒に帰ったグループ、インドへ移り龍王となった後に帰ったグループ(レビ族の可能性が大)など、その痕跡は具体的に見え始めています。

↑ 四国の金比羅の「龍王社」にあった神殿様式の社

 

 今回はその「かごめかごめ」の中の謎の一つ、「鶴と亀」について言及します。

 

 神皇記は宮下文書のダイジェスト版と呼べるものですが、神奈川徐福研究会 富士古文書翻訳部会が出した本、「対訳 富士古文書」には神皇記とは少し違う内容が書いていましたので注目しました。

 

富士古文書』Page.72 富士山の麓にある青木ヶ原の話として出てきます。

「夏は木が数多くあり、冬も木が多くあり、青木ヶ原という。

 この原野に中室、小室があり、その前の湖に大鶴の夫婦(つがい)が住んでいた。

 小室の奥の小池に大亀の夫婦(つがい)が住んでおり、

 その池から流れ出る川端に、大松があった。

 この大松の元のが河原に、鶴亀を愛し、夫婦で居り、日夜を重ね重ねて留まること一五○三千六百日。」とあります。

 

 私のブログを読まれている方なら、「聞いた事ある名前ばかりだな~」と思われるでしょう、私も同じ感想で、「そのまんまじゃないの!」と言いたくなる内容です。

 

 龍王の渡来は紀元前1世紀前後と絞り込めていますので、この記録をしたのはそれ以後に来た人物、恐らくは「徐福(後の素戔嗚尊)」だと思います。

 

 この時は、まだ徐福であり、日本の統治に参画していませんので、外からやってきた者の目で表現しています。(何故か比喩的にですが....)

 

 岡山県児島大ヶ島の様子から、龍王と仲良くしていたのは「太伯系(呉から渡来)とクナト王系(インドから渡来)」の二系統になります。(楚の熊一族の直接の関与は見えません。)

 



 この内、太伯系が「」をシンボルとしていた事が大ヶ島に残されています、松一族も太伯系であることは伝わっていますので、太伯系でも松一族亀グループとに分かれていたとこの伝承は伝えています。(これも史実と合致します、松一族熊本山門に土着、残りの太伯系山陰に土着)

 

 そして龍王達が支配者として君臨はしていますが、為政者としてあったのではなく、絶対的な強者ではあったが、為政者としては「大松大鶴大亀」、すなわち松一族の氏長者、鶴一族の氏長者(猿田彦)、亀一族の氏長者(大一族)の三氏にある程度任せていた様子が感じられます。

 

 龍王系の中で為政者として現れるのは高一族、槌一族、豊一族、玉一族のように一部が為政者として振る舞い、ほとんどの者は初期仏教の実践者として修行僧としてあったのだと思います。(有事の際は戦うこともするが、基本的には宗教者)

 

 ここまで、直接的に伝承されていると迷いようがないと思いますが、「とはクナト王系猿田彦を筆頭とするグループ、とは太伯系の大一族を筆頭とするグループ」としたいと思います。

 

 岡山県久米郡美咲町にある諏訪神社古墳群に行った時です、ここには弥生時代の古墳があったんですけど、方墳が一つある所へ円墳が追加されているんですよね。

 方墳地神円墳天神、最初は地神の場所を龍王達が貰ったからかなと思っていましたが、今回の伝承を知ると解釈が変わり、同じ部族が「地神天神」となったする解釈が正しそうです。(正確には空神ですが...)

 

 太伯系が(水)なので地神だったので、クナト王系を「(空・天)」としたので古墳も円墳に変えたのだと思います。

 

 もう一つ後押しをすると、

 神紋が「」だったんです。

 

 諏訪大社の神紋は、

 「根が四本の諏訪梶葉」なので、美咲町諏訪神社の神紋は神社を建てた豪族の紋章だと言えると思います。(後から建てた場合は大名の家紋の可能性があります。)

 

 という事で、の神紋を見つけたら「クナト王系(猿田族・才ノ神)」、の神紋を見つけたら「太伯系」を疑って見てくださいね。

 

 休憩にならなかったかも.....

 

 龍海