前回までで、鸕鶿草葺不合尊が亡くなり、自軍の士気が下がる中、神武天皇は全国へ「義を以て助けてくれ」と援軍の要請を出しました、今回はその続きです。

 



「即ち、尾羽張大主尾羽張明照雄命を東海惣國の元帥となし、東海口より、諏訪大主諏訪建勇命を東山惣國の元帥となし、大湖口より、出雲大主出雲大神主命を北越惣國の元帥となし、丹馬・針間の兩口より進軍せしむ。」

 

龍海神武天皇の要請に対し、尾張(大山祇系)・諏訪(建御名方命系)・出雲(大国主系)が呼応して東海口・東山口(大湖口)・丹波口・播磨口から進軍したようです、神武天皇が元帥に任命したように書いていますが、実際には義勇軍なので神武長髄彦の双方とは独立した軍勢になると思います。(小野が書かれていない事に注目してくださいね。)

 

「賊の雄師漸(ようやく)く潰(かい)を告け、東海口第一に陥(おちいり)り(望ましくない状態になる)、東山口第二に陥り、針間口第三に陥り、丹馬口第四に陥る。」

 

龍海:義勇軍の勢力がそれぞれ神武軍より強大であった事が分かります、何故なら神武軍は兵力の集中する所から入るのは不可能と判断し、山間の熊野から進入を試みているのですから、出雲尾張諏訪の軍勢の方が強かった事が顕著に書かれています。

 

「明照雄命等、竟(つい)に賊の總大將真佐勝彦命・禍津亘理命を斃しぬ。」

 

龍海:おやっ! コレが本当なら、真佐勝彦命とは邇芸速日命の事では無さそうです!(饒速日命は記紀では死んでいないので、じゃあ誰なんだ?)


龍海:ともあれ明照雄命等(尾張勢)が総大将の真佐勝彦命禍津亘理命を斃したそうです。

 

「而して、皇太子宇陀の國見の長髄彦を攻めさせ給ひ、皇兄稲飯王命等、牟婁の鬼山の白木軍を撃たせ給ふ。」

 

↑ 「宇陀の国見山」

龍海長髄彦鸕鶿草葺不合尊軍への対応で伊勢口を守っていたようです。

 

龍海:稲飯命は記紀でもある通りで海上戦となっています、戦う相手が新羅軍というのが違う点ですね。(旧牟婁郡熊野と同じと考えられており、鬼山の位置からの推定です。)

 

「皇兄は、白木軍と海上に戦ひて彼我共に沈滅し給ひ、皇太子は長髄彦を討ち平け給ひて、竟に天下を平定ましまし給ふ。」

 

龍海:非常にシンプルながら稲飯命は海上戦で死んだ事を伝え(この時の伝承では死んだ事しか伝わっていない様子がありますね。)、神武天皇長髄彦を討った事になっていますが、記紀ではて「金のトビ(金鵄)」が現れて停戦となった様子を伝えています。

 

龍海:敵の総大将を既に討っているので、実際には長髄彦は討たれていないどころか、その後に生きながらえて「アラハバキ」となった事が『東日流外三郡誌』に伝えられています。

 

「竟(つい)に天下を平定ましまし給ふ。」

「是に於て、都を大和國畝傍山橿原に尊めさせ給ひき。」

「是を神武天皇となす。」

 

龍海:最後に大嘘を交えている感じがあるのは、直接的に聞いた伝承ではなく、どこからか間接的に伝え聞いた伝承である事を物語っています。

 

龍海:つまり、神皇記が全て正しいという訳ではなくて、記紀も併せて考察する事で、凡そ正しい伝承が理解出来るのだと思います、これは小野小町の伝承でも見られた現象で、同じ内容でも伝える先で微妙に違っていた経験があります、その場合は最も合理的な組み合わせが「正解」だと考えられるので、今回の考察も含めて、最終的な「神武東征の解釈」を述べる必要があると思います。

 

 第一部(完)

 

 龍海