お伝えしている通り、『神皇記』の中の神武東征の部分をデータ化していますが、これが結構長くて終わりません。(チョッピリ想定外。)
しかしデータ化していて気付く事もありました、それは本文を書いた人間は中国系の人だったであろう事です。
神皇記を書いたのは「三輪義煕」という人物で大正時代の人物です、もちろん三輪氏が漢文の達人で、中国でしか使われない熟語にも精通していたとする可能席も無きにしもあらずですが、わざわざ難しい言い回しをしなくても良い内容にも使われている事から、史料の原文が中国系の人物によって記録されたと考える方が自然でしょう。
例を見せると、
「衆(しゅう)吶喊(とっかん)之(これ)を突く」と続きますが、吶喊(とっかん)とは「突撃に移る前に、士気を高めるために、指揮者の合図に応じて声を大きく張り上げること。その叫び声。」とあり、日本人なら「突撃の聲を上げ」とか、「怒声を張り上げ」など他の表現を使うと思います。
三輪氏は吶喊の意味が分からなかったので、そのまま使用したと考えられますので、原文が中国系の人の漢文だと思います。
宮下文書は徐福系の人が書き残したものだとされていますので、伝承と一致するんですよね~。
チョイチョイこのような単語が入り、私もデータ化するのに時間が掛かっています、なにせ読み方から分からないし、漢字は知らないし、その都度つまづいている感じでしょうか。
しかし、その甲斐はありそうで、他の研究者の方の助けにもなるんじゃないかと思います。(神皇記の本は非常に高価なので手に入れにくいですが、内容は無料で読めるんですよね~、→国立国会図書館)
という訳でもうしばらくお待ちください。
龍海