「かぐや姫」とは「竹取物語」を原典とするおとぎ話ですが、その竹取物語の成立は9世紀後半から10世紀前半だと推測されているようです。 


 竹取物語の更に原典として、大乗経典「月上女経」(闇那蠣多によってA.D.591年に漢訳。)がある事を幸田露伴が詳しく述べているようですから、竹取物語にも原典と呼ぶべきものが存在するようです。 


 さてそれらを踏まえた上で、釈迦族とは「月王家」であった事や、シャカラ龍王を含む44人の龍王達紀元前1世紀に日本へと渡来して、綿津見吉備の国になっていった事が明らかとなりつつある現在、かぐや姫の物語とその意味について気が付く所も多く、今日はそれを述べたいと思います。 (うらしま太郎より前にかぐや姫に言及するとは、予想外!?)


 今回は、wikipediaの竹取物語をソースとして考察を加えました。


 竹取物語の要点を列挙すると、

①竹林に光る竹があり、そこで見つけた3寸ばかりの娘→メソポタミア時代から「知能の高い小人」という概念があり、日本の伝説にあるコロポックルも同じだと考えます。


②3ヶ月ほどで妙齢の娘になった。(成長が早い)→この世の者ではない。(神格化


秋田(人の名)は「なよ竹のかぐや姫」と名付けた→秋田県小野小町で有名


④多くの公達が求婚したが、最後に残ったのは5人で、「石作皇子、車(庫)持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂」であった。


⑤5人には難題が出され、石作皇子には「仏の御石の鉢」、車持皇子には「蓬萊の玉の枝(根が銀、茎が金、実が真珠の木の枝)」、右大臣阿倍御主人には「火鼠の裘(かわごろも、焼いても燃えない布)」、大納言大伴御行には「の首の珠」、中納言石上麻呂には「燕の産んだ子安貝」を持って来させるというものだったが全員失敗に終わる。→達成不可能=結婚不可の存在


⑥帝も求婚し、翁を味方につけるが、会うことさえ出来なかった為、和歌のやり取りをする様になった3年後に月からの迎えが来る。→帝でさえ婚姻が叶わぬ相手


かぐや姫は月の都の住人なので、月から迎えが来ます、帝は兵士を集め迎え撃とうとしましたが、無力化されて抵抗さえ出来ない。→天人には逆らえない=絶対的存在


⑧天の羽衣を着ると、人間らしい感情が消え失せる→天の羽衣=天人(天神)=山形には小野小町羽衣伝説があり天人扱い


⑨天人(天上界に住む者)から「不死の薬」を貰った帝は、天に最も近い山を尋ね、駿河の山(富士山の事)だと聞いた為、かぐや姫から貰った手紙と不死の薬を焼くように命じる。→不老不死の伝説日本人の王家に伝わるもの)


⑩「ふじ山」の名は「不死の薬を焼く」事から名付けられたとする。 →不老不死富士山の関連性を伝える説話


 ①の説話は小野篁の生誕伝承と実は同じになります、『小野小町行状記』で書かれているものですが、物語の成立は竹取物語の方が古いので、竹取物語から想を得たかも知れません。(又は、原典の月上女経でしょうか。)


 実際には、小野篁の名は生まれた地が「篁山」の麓であった為と考えられ、「」とは「竹の林」という意味があり、竹から生まれた説話は後付けです。 



 ③の名前を付けた人物が「秋田」である事、もう一つは「かぐや」という名前が月王家のシンボル「香具ミカン」に因んでいる事です。 二代目の大山祇でもある、素盞鳴尊大山カグツミ(香具統み)として相模大山香具(みかんの木)を植えていますし、別名の「火之迦具土(地名)の香具(大山祇)(槌一族)」にも香具が入り、名乗りとして使用していた例があります。(※私の研究成果なので、一般的には知られていないと思います。) 


 その末裔が「(みかんの木)」となった理由も同じです。 


 ④の多くの公達が求婚しても断られた様子はまさしく月王家を引き継いだ「小野家」の娘、小野小町と様子が被っています。 


 私の研究でも、小野小町は殆どが小野家へと嫁ぎ、例外は二代目の小野石子は高賀茂氏へ、これは結婚後に小野小町となった為と考えられ、四代目の小野重子嵯峨天皇へ(父は小野岑守なので政治的理由で断れない。)、五代目の小野吉子仁明天皇へ(父は小野篁でコレも政治的理由で断れない。)、六代目の小野氏野は橘氏(親戚)へ、菅原道真の孫にあたる小野小町大江氏へと嫁いでいます。 


 小野重子小野吉子は天皇からの要望により嫁いだと考えられ(天皇家との結びつきを強固にする為)、特別な事がない限りほとんどが小野家へと嫁いでいるのです。(菅原道真の孫は是非にと押し切られたと推測します。) 


 これも他家から見れば、どれ程求婚しても月王家(小野家や橘)にしか嫁がない印象があり、時期的にも9世紀末から10世紀とは小野小町の名声が最も強かった時期と重なります。


 ⑤は小野小町への求婚者を当たると似た名字の人物が出てくる様な気がします、スグに分かるのは安倍氏ですかね(笑)、大伴黒主とは喧嘩してますね。 「の首の珠」も龍王の子孫に当たるので、因んでいます。


 ⑦⑧は仏教の概念を伝え、人間では歯向かいようが無い存在を表現しています。


 ⑨の不死の薬は、メソポタミアより前から日本人が伝える概念であり、蓬莱山に生える扶桑樹の実とも伝わりますが、これも古代の日本人が世界へと広めた概念で王家にのみ伝わる概念になります。


 ⑩は富士山と「不死の薬」を関連付けているのは古代からの伝承と一致しますが、神皇記には徐市(高皇産霊神)が「不ニ山二つと無い山」から名付けた経緯が書かれています。


 いかかでしょうか、出てくる内容全てが、古代の日本人(メソポタミアン)に由来し、釈迦族や月王家、そして月王家を継承した地神大王家の小野、そして小野小町と連綿とした流れを表現しているようです。 


 平安時代前期にそこまで詳しく記憶していた人間は居なかったハズなので、偶然の成せるモノとは思いますが、偶然が偶然では無い所が恐ろしくも思います。 皆さんはどう思われるでしょうか?


 (一晩寝てスッキリすると……)


 一晩寝て考察が私の中で定着したら、新しい発想が出ました、ソレは、これを書ける人物をプロファイリングすると、凄く限定されるであろう事です。


 私の考えでは三人しかいないのでは無いかと思います。


空海 ②小野篁 ③小野吉子小野小町


 古代史に詳しく、月王家の存在を知り、小野家の情報にも明るく(氏長者)、仏教に詳しい人物などそれ程居る訳がありません。



 その中で小野吉子は820〜900年まで生きたと思います、小野吉子の子、孫、ひ孫の誰かが話を聞いて物語を書いた可能性に気付き、うちの本家筋の家に原本がある可能性に気付いてしまいました。(あ〜、恐ろしや。)


 龍海