紀元0年前後の素戔嗚尊とは「徐福」の事で間違いないのですが、九鬼文書では「素戔嗚尊天皇」と「健速素戔嗚天皇」とを別人のように書き分けています。(少し混同も見られますが...)

 

 「健速素戔嗚天皇・・・天佐登身命・・・白人根國中興ノ祖

 

 と書かれていて、白人根國とは「エジプト」の事になりますので解釈が難しくなります、仮に健速素戔嗚素戔嗚尊とした場合には、素戔嗚尊の子孫の天佐登身命エジプトへ行って中興の祖となっている事になりますが、そんな史実は皆無だと思いますので、日本人エジプトで中興の祖と言えるのは、数百年ぶりに宰相となった「ヨセフ」しか思い当たりません。(イムホテプ・・・・→ヨセフ

 

 「天佐登美命・・・野安押別命・・・母宇世・・・伊惠斯

 


 ともあり、ノア天御中主神伏義ウトナピシュティム)から分家した系譜で、モーセイエスの先祖という意味で書いているのだと思います。

 

 となると思いつくのは、ヨセフ達の父親である「ヤコブ」又は「アブラハム」の事だろうと思います、私は「ヤコブ」の事だと思いますが、当然ながら断定出来るほどの情報はありませんので、第一候補としたいと思います。

 

 「健速素戔嗚天皇 檀君ト称シ朝鮮春川ニ降リ檀國ヲ造榮成シ給フ

 

 ともあります。

 

 さて、これらをどう解釈するのかが大事になります、私は素戔嗚=「ソサノヲ」と読ませ、「ソサ(和歌山県)の男」という意味とする解釈は正しいと考えています、素戔嗚尊牛頭天王(牡牛神+仏教の守護者の天王)にもなっているのは祖先の英雄、「牡牛神」や「神農(牛頭人身)」に因んでいると考えて間違いないでしょう。

 

 それ程の人物が「和歌山の男(現代風)」と呼ばれている事は、実は引っかかっていました、まるで蔑称のようなあだ名に聞こえるからです。

 

 しかし、それを蔑称と感じさせない程、「すさ」とか二次的に地名がつき、九鬼文書でも素戔嗚天皇とある通りで、「ソサノヲ」とは名誉ある呼び名である事が考えられます。

 

 そこで浮上してくるのが、「太加王(たかおう)」です、朝鮮で檀君と称したのが「太加王」のことで、『支那震旦國皇代暦記』には神農の次男、「天朝」の孫に「太加王」の名前があり、

 



「神農氏の二男,東洲の国王、朝天氏の孫、新羅王の四男、太加王は一族郎党八千余人を引きつれて、祖先の国、蓬莱山嶋豊葦原の瑞穂の国に向かい,ここを征服し、祖国の大王となり、全世界を従え全世界の大王と成ろうと、目市木を日本国に渡り国王の大日留女尊を計略を以って妻にし、諸国を従え大王になることを計画しましたが、一族郎党は皆殺しになったため、国王大日留女尊に従い、義兄弟の契りを結び、大日留女尊を姉君と敬い、国王より太加王を改めて祖佐之男命という諱名を賜り、祖国蓬莱山嶋豊葦原の瑞穂の国の守護神になったと、言い伝えられております。」とあります。

(注:国王が大日留女尊とありますが、現代人は脳みそが勝手にアマテラスと変換してしまいます、実は違う可能性が高いので、日本は女王が統べる国だった可能性があります!)

 

 この内容が素戔嗚尊(徐福)と非常に似ているのですが、時代が全く違う事や、「豊島(豊一族の島)」の山名が「檀山」である事も引っかかっていました。

 

 島や山の名前が支配者の名前である事を考慮すると、豊島には「」という一族がいた事を示唆しているのです、漢字が「」とで違うのは漢字の無い時代ですので問題ないと思います。

 

 正直、判断に迷う内容です、理由は素戔嗚尊と内容的にほとんど一緒だからですが、徐福は500人と伝え、太加王は8000人と伝えている所や、太加王は「全世界の王」になろうとしている所は全く違う点になろうかと思います。

 

 それを加味して考えるには「繰り返される歴史」を考慮しないとダメなのかも知れません、何処かでも聞いた気がしますが、メソポタミアの時代から「似た歴史を繰り返している」事実が見えています。


 仏教でも他の伝承でも「生まれ変わり」を伝えるものは多く、私も「小野篁」の生まれ変わりの可能性がある事を認めざるを得ません。(正確にはチョット違うのですが、ベースが小野篁という意味では生まれ変わりと言えるという意味です。)

 

 こうなると、歴史研究の範疇を超えていくのですが、小野小町の名前を継いだり、小野お通の名を継いだり、中世でも似た事例がある事を知っています。(最近の話ですが、小野猿麻呂も三人いた可能性が高くなりました。グッすん。)

 

 伝承を信頼するならば、少なくとも「健速素戔嗚天皇(太加王)」と「素戔嗚尊(徐福)」との二人がいて、二千年の時を挟んで似た状況になっているとしないといけないのでしょうね~。

 

 龍海