徳島県に残るユダヤとの接点が気になっている人も多いでしょう、モチロン、私も気になっているというか、知らない事が多すぎて判断に迷うので、大宜都比売命を含め調べてみました。
その中で少し整理出来た事や、中途半端に知らされている事からでは正しく判断出来ない事が改めて分かりましたのでお知らせしたいと思います。
まず、剣山の「失われたアーク」の伝説は私の出した答えは「眉唾」です、私の感覚では「違う」と思います、その上で、「白人神社」および「磐境神明神社」のユダヤ様式の祭祀場は本物だろうと思います。(現地に行くと何か気付くものがあるかもですね。)
剣山は猿田彦が関係しているようですので、猿田彦のネーミングから結びつけられた解釈だと思います。
他にも倭大國魂神社の神紋の三つ柏の葉脈がメノラーと同じだというのもありますが、これは偶然でしょうね。
倭大国魂は素盞鳴尊の事でほぼ間違いないので、神紋が三つ柏になるのは当然となります、逆に三つ柏がユダヤなら、全国にビックリするほどのユダヤ系神社が生まれる事になるでしょう!(笑)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240529/23/tatsumi-99/20/d1/j/o0707061715445055823.jpg?caw=800)
↑メノラー
まず、「白人(しらひと)神社」という名前ですがアイヌ語では「チロット神社」と読みます、可能性としては五色人の白人に由来するのでは無いのだと思います、ね! 最初から大事な情報が伝わっていないでしょ!
重要な所はこうなっている所が多く、チャント調べる人だけが次のステップへと進める様な構造になっている事が多いのです。(だから私はしつこく調べるので、色々見つける訳です。)
アイヌ語でチロットの意味は「鳥が多く生息する沼」となり、五色人とはかけ離れた意味になります。
これは少し納得です、川そばにあり、古代には湿地があった可能性もあると思います。なので地名に「白人」と残っていた可能性があると思います。
なんで白人なのか私は理由が分からなかったので、ただの当て字なら納得なんです。でも紛らわしい!
次に龍王との関係です、
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240529/22/tatsumi-99/c9/96/j/o1080086815445034891.jpg?caw=800)
龍王山とは離れていて、直接関係は無さそうです。
伝承では阿波忌部が移り住んだ事になっているようですが、大ヶ島の情報から忌部氏はイスラエル系の祀り方はしていません。
つまり、阿波忌部による建立説は否定されます。
穴吹の地名や川の名前は現在、定説は無いことになっているようですが、アイヌ語の研究から「凍風(アナシ)吹く」に由来するという説があり、これが案外正しいのかも知れないと思うのは「白人(チロット)」に共通する語源だからです。
ここまで出てきた情報は「足名槌」を強く印象付けます、足名椎は才ノ神の血筋だと強く疑われるので、アイヌ語にてネーミングした可能性は高いとなります。
足名椎は出雲の須佐にいた事は分かっていますが、その移動経路は直島・槌島(瀬戸内海)→出雲の須佐→岡山県倉敷市船穂(里木神社の祭神)→徳島県穴吹→徳島県タニと移動した可能性が高い。
ホツマツタヱには「恵那岳」の名前をサクラウチが付けたくだりがありますが、「〇〇岳や〇〇峰」という山名はアイヌ系によるネーミングが強く疑われます。
残されている情報からは私の仮説を後押しするものばかりです。
逆に大宜都比売命とユダヤ系との繋がりは今の所、皆無である為、大宜都比売命(大月姫)は直接はユダヤ系とは関係ないと、今のところ言えると思います。
現在の情報からは、ユダヤ系の才ノ神の血筋であった足名椎(立場は猿田彦になっていた可能性は高い)が、出雲の大山積の養子に入っていたが、月王家の女王の大宜都比売命の婿養子となり月王家の男王(月夜見)となり、またユダヤ系(メソポタミア系?)の龍王と合流した事で、ユダヤ式の祭祀場を穴吹に再現したものが「磐境神明神社」と考えるべきだろうと思われ、その後は大山祇サクラウチとして名前を残したと考えます。(ということは、祭祀をしていたレビ族の末裔が龍王として帰って来ていた可能性が高くなりますね。)
大山祇となった時に才ノ神だけでなく、猿田族の族長を兼ねるようになり、猿田彦を名乗り始めた可能性は高いと考えます。
龍海