アマテラス(瀬織津姫)の続きです、私は小野なので、二つ名を書くのは面倒なので、以後は瀬織津姫と書きますね。
瀬織津姫が徳島県で生まれ、亡くなった理由ですが、自分の故郷という事はモチロンですが、母親が大宜都比売命である事に由来していると思います。
大宜都比売命は阿波を開いた人物として知られていますが、漢字をみると明らかに当て字だと分かります。
じゃあ相応しい漢字を当てると、「大月姫」しかないと思います、大月氏族の名前が生まれるほど、月をシンボルとした部族がいた事は有名です、そしてシャカ族こそが、その大月氏族と呼ばれる民族である事は日本における状況からも間違いないでしょう。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240521/09/tatsumi-99/ad/9f/j/o1024102415441474030.jpg?caw=800)
では大月姫に相応しいはシャカラ龍王の娘となります、岡山県の児島はシャカラ(きび)龍王の支配地となり、その後、娘の「善女龍王」が継承した事により「きびのこ」から「児島」という名になったと解釈しました。
児島の中にある「臥竜山」も病気がちな娘の領地と考えられます。(→玉一族)
香川県や徳島県にも龍王山があるのはシャカラ龍王の娘を護る為に布陣した様にも思えます。
才ノ神(足名)+槌一族との間に生まれた「足名椎」は大山積の息子です、つまり父親はドチラかの部族出身の大山積だった訳です。
そして手名椎との間には娘しか生まれず、櫛名田比売の婿養子として素盞鳴尊を迎えました。
龍王達がきて、次期大山積の予定だった足名椎は圧倒的勢力の龍王達にたいして、最初から合流する事を選択し、今度は逆にシャカラ龍王の娘、大月姫へ婿として入り、龍王に連なる者になったと思います。(推測になりますが、娘の瀬織津姫が龍神なので、龍王の血が入ってないと困りますよね。)
この時点で構造としては「龍王+太伯系+熊一族+才ノ神+猿田族」となり、これが綿津見にと発展します。(綿津見連合国)
足名椎は徳島県のタニに移り、娘を二人儲けました、恐らく息子もありましたが、そのまま南海の統治(底綿津見の一人)を任せコレが「楠氏」になったと考えます。
個人の名乗りとしては「サクラウチ」と名乗ったのでしょう、瀬織津姫もそういう意味では「大月姫」だった可能性があると思います、何故ならシャカラ龍王の名を継いだのがサクラウチだと思えるからです。
面白いのは、この間の伝承が皆無な事です。
シャカ族も龍王達も漢字は使っていた(主に言語が違う相手にだと思いますが。)と思いますが、日本では文字で残していないのは、言葉が通じていたからとも言えそうです。(そして、同じ大王でも中国とはスタンスが違う為だと思います。)
やっとココまで理解が進みました、大宜都比売命としては保食神(ウケモチ)と同じような扱いになっているので、同じ系譜かと思っていましたが、「阿波=粟」の誤解から生まれた虚像のようです。(本人はただの月王家の姫)
剣山(つるぎさん)にアークを納めたのも大月姫なんでしょう、だとしたらアークを継承していたのは月王家となりますね。(アークの中身はたぶん十種神宝)
いやぁ~、スッキリしてきました、最初の頃は「訳わからないなぁ~」と思っていましたが、絡み合った謎を紐解くと、スッキリ解釈できるものです。
だから、徳島県は月王家の上陸地として印象を強めたのでしょう!
私はだんだんと整理されてきていますが、整理しきれない方の為にも活字にはしないといけないでしょうね~。
龍海