コロナでシンドい龍海😷です。


 コロコロしながらでも、考える事は出来るので少し前に閃いた!事を考察したいと思います。


 私の中で「足名椎」とは大山祇、サクラウチの事では無いのか? というフラグがたっています、しかし古代のネーミングは部族名を複姓として名乗る事は事実だろうと思われ、「」という部族は・・・、と思い巡らしているとヒラメキました!


 そういえば「(たらし)」があるわ!と自分のご先祖をしっかり忘れていました!(笑)


 そうすると続けて思いつきます、「そういえば直島チキリ峰チキリだわ(チキリはアイヌ語で「足」)」、こうなると目の前が開けた感があります。



 手名椎も「すぐ近くに手島があるわ」とどんどん結びつきます。



 このはドチラも才ノ神系なのでしょう、部族名は才ノ神だが、それぞれ区別する為に「」、「」と名乗る事にした為に、「足名」、「手名」とただし書きのような名前になったと考えられます。


 この考察は他の面でも生きてきますので、恐らく正しいと思います、才ノ神はクナト王系の王族で猿田族はその民という関係だと推測されます。(猿田族の方が多い。)


 私は身長に比べて「手が長い」という特徴があります、父親もそうだったと思います。(同じ事を言っていた。)


 いわゆるドラヴィダ人の特徴を持っている訳ですが、サクラウチの時からハーフ(というか、シャカラ龍王ハーフだと思います。)ならば、特徴が強く残っていても不思議ではなく、大山祇サクラウチというのはシャカラ龍王才ノ神足名の間に生まれた第一皇子で、主に祭祀を継承した事が推測されます。


 才ノ神太陽神で、とは太陽神神使ですから、そこから猿田族と名乗ったと推測できます。(ハッキリとそれを示す情報はありませんが、太陽信仰は日本人の基本なので、まぁ、普通でしょうか。)


 天つ神王朝綿津見では名前を変えて記録されている事は「大名持→大己貴命」、「少彦→少彦名」など、探せばいくらでも出てくると思います。


 私が足名椎サクラウチとするには、50%を超えたので、私の中では有力仮説に昇格しました。


 しかしもう一つ、二つぐらいないと、他の人は納得しないでしょうね~。


 直前に重要な情報を教えて頂きました、高倉下(たかくらじ)が五十猛命の子だと出雲では伝承している事を教えて頂きました(⁠≧⁠▽⁠≦⁠)


 これにより、大山カグツミ(大山祇サクラウチの息子)=素盞鳴尊カグヤマツミ天香具山)=五十猛命となり、私の仮説は証明される事になりました。パチパチパチ(拍手)


 これで史実とも一致してきます、大山祇とは日本の大王なので、素盞鳴尊は大王であった事になり、名前が大山カグツミと記録されたので、素盞鳴尊だと分からなくなったとなりますね。


 天つ神王朝はアマテラス(瀬織津姫)の支配下となり、この時から実は2大王朝制となっていた事が分かります、コレでまた解釈を変えざるを得ませんね、脳みそに頑張って貰いましょう!(笑)


 龍海