今日はこの前からポロポロと登場している「黒一族」について、調査と考察を加えてみたいと思います。

 場所は岡山県倉敷市真備町にある「熊野神社」の地になります、今は熊野神社ですが元々は「黒宮」だった事は明白な場所だと言えるでしょう。

 

 住所は真備町尾崎となっていて、古代は眼前が海で「」だった可能性が高い地でもあります、隣は「呉妹(くれせ)」という地域で「(ご)」との関係が強く疑われる地域でもあります。

↑ 参道ですが、比較的新しい参道だと思います。(黒宮神社の古さに比べてですが…)

↑ 懸額には「熊埜権現宮」の文字、この「の」は熊一族と関係していると思います。

↑ 黒宮神社

 黒宮神社のところに弥生時代の古墳があり、黒宮とは黒姫を出した一族だと天皇家が思っていた様子が、その下にあった小さな祠に「十六菊紋」がしっかり彫られていたことで感じる事が出来ました。

 

↑ 扉に十六菊紋が彫られている小祠

 

 この黒一族に関係する伝説として仁徳天皇の時に「黒姫」という女性がいた事が知られています、その黒姫の伝説とは何かを「郷土の歴史・経済・文化研究会」の『黒姫伝説』から引用してみましょう。

 

 

「黒姫伝説(くろひめでんせつ)
黒媛は吉備の国に住むたいそう美しい娘。やがて仁徳天皇の寵愛を受けるようになりました。しかし、嫉妬深い皇后の仕打 ちに耐えかねて、吉備の国へ。天皇は「沖辺には小船連らく黒崎のまさづこ吾妹国へ下らす」と船出を悲しまれました。黒媛への想いを断ち切れない天皇は、皇 后に偽って黒崎へ。小高い丘の中腹に御殿を建て、楽しい日々を過ごす二人。しかし、いよいよ別れの日、黒媛は「倭べに西吹きあげて雲はなれ退き居りとも我 忘れめや」さらに「大和べに行くは誰が夫隠水の下はよはへつつ行くは誰が夫」と嘆きます。黒媛は屋敷を少し上(黒瀬神社)へ移し、天皇の歌「山県に蒔ける 青菜も吉備人と共にし摘めば楽しくもあるか」を思いながら暮らしたということです。」

 

 この黒姫のお墓と伝承する所が複数あり、これもまた謎の一つとなっています。(今回はお墓の特定は目的ではないので、黒一族に絞ります。)

 

 「黒姫伝説」で調べると、長野県信濃の伝承が出てきます、吉備黒姫とは別人の黒姫にまつわる伝承ですが、こちらには「龍蛇」が登場しますので、龍王の系譜であることが匂っています。

 「」のつく地名をあげると岡山県だけでも,上図のようになります。

 

 黒田や黒土などは「砂鉄」に由来する名前だと考えられますので、全国に沢山有るのは当たり前となりますが、だからこそ「黒一族」の存在を隠してしまっています。

 

 その中でも「黒一族」に関係しそうなのが、「黒山」、「黒住(くろずみ)」、「黒崎 ※黒姫の出た所」、「黒島」でしょうか。

 

 黒島は「大ヶ島」のすぐ近くにある島で、

 大ヶ島の前にある「前島」を中心に「青島黄島黒島」が配しています、これは五色人五色龍の概念から来る名前なので、龍王系かクナト王系だと考えられますが、ここには龍王山がないので「クナト王系」が正解なのかもしれません。

 

 クナト王系は龍王と合流して動いていますので、黒一族を名乗った時はクナト王系としてだったかも知れませんが、その後は龍王系に属していたと考えられます。

 

 顕著な足跡はなさそうなので、有力な豪族とまでは言えないが、美形の一族だったのかもしれません。

 

 この方面からではこれ以上の探索は難しいようですので、「黒一族」がいて、天皇妃を出すくらには名前が通っていたとしたいと思います。

 

 龍海