私は岡山県倉敷市児島とは「シャガラ龍王(こ)、善女龍王」が継承したから「児島」になったのではないかと仮説を立てていますが、今日はそれを検証してみようと思います。


 仮説のキッカケは児島龍王山には「龍王山児島竜王山」の2つの名前が伝わっていました、そして山の中腹には「善女龍王」が祀っていたので、龍王シャガラ龍王善女龍王の父親)、児島竜王善女龍王と分かり、シャガラ龍王だから「児島」となったのだと思ったのです。

 今、考えてもこの判断は正しい様に思います、しかし今はもう一つ気付ける事があります、善女龍王は「」という一族を立ち上げたという事です。(たぶん姓を「」にした。)

 筆頭龍王の児だから、「児一族」にしたなんて冗談の様なネーミングですが、結果としてそうなのだから我々は受け入れる他ないのですが、もうちょっと良いのが無かったの?って言いたくなります。

 さて児島の地名ですが、伝える文献により微妙に違っています。

古事記:吉備児島(吉備の児島)
日本書紀:吉備子州(吉備の子の州(くに))
ホツマツタヱ:きびのこ
先代旧事本紀:黄蕨(きび、きはら)児島

 この中で最古の記録は「ホツマツタヱ」です、だから平仮名(表音文字)で記録されていた為に、各部族で漢字が当てられ、漢字への解釈が書かれたと解釈出来ます。(各部族も各々の神代文字で記録していたと思いますが、どこの部族の神代文字も平仮名と同じ表音文字50音なのでホツマツタヱと一緒です。)

 そういえば、中国地方ホツマツタヱでも「サホコチタル国」とか「中つ国」という表現はあっても吉備の国とは言いません!

 しかし児島だけは「きびのこ」……

 そして、各々の文献の共通しているのは、「吉備(子)」という意味をちゃんと伝承しているようなんですよね。(古代の人は知っていたが、中世には既に間違って解釈していた、つまり「きび」は地名では無い!となりますね。♥)

 じゃあ、最初期の吉備(きび)は地名じゃなく「シャガラ龍王の名乗り」となると思いませんか?

 桃太郎の話でも「吉備津火車(吉備の火車)」が名乗りの「吉備」(※この時代には既に地名になっていた可能性が高いですけど。)をワカタケヒコ(後の吉備津彦)に譲る事で決着していました、つまり吉備という名乗りを継承した龍王がいる事になります。(きび龍王)

 吉備が姓なのか、名乗りなのか、私は植物の「(きび、きび団子)」に由来すると思っていたので、ちょっと想定外でした。

 吉備黄蕨の語源がサンスクリット語なのかとも思い調べましたが出てきませんでしたので、違うようです。

 はてさてと思っていると、「サトウキビ」の記事に目が行きました、砂糖黍インドネシアインドへと拡がり、最初に製糖されたのは古代インドの北だと言われているそうです。(更に調べると紀元前4世紀には砂糖があったそうです、しかも甘味ではなく薬だったそうです。)

 それってネパールの事じゃないの?

↑ サトウキビ

 釈迦族のいたネパール(インド北部砂糖黍、古代から近世まで「超高級品」だった砂糖、それの原料である砂糖黍、支配者のシンボルとしては相応しいものの様な気がします。

 キビはキビでも「サトウキビ」を名乗りに用いていたなら少しは理解出来ます(沖縄では今でも砂糖黍をキビと省略して表現するそうです。というか、古代はキビと言えば砂糖黍だったかも知れません。)、穀物としてはショボいじゃなく、「砂糖(薬)の支配者」としてキビ(サトウキビor砂糖かも)を名乗ったのかも知れません。(という事はサトウキビの独占栽培をしていたのかも…)

 つまりキビの名乗りは「サトウキビの独占」を意味し、陸地を支配する必要が出てきて吉備の国となった可能性も見えてきます。

 岡山県備後の弥生の遺跡からサトウキビでも出てきたらビンゴになりそうですが、どうなんでしょね?

 調べる価値はありそうですが…(ネット検索では出ませんでした。)

 砂糖の事を調べているとサンスクリット語シャルカラ(Sarkara)という事が書いてあり、これは「」を発音しなければ「シャカラ」となります、つまりシャカラ龍王とは日本語でサトウキビと同じ語となり、シャルカラそのものがシャカラ龍王によるネーミングに由来するかも知れません。

 そしてペルシャ語ではシャカルと発音するようです!

 つまり純粋なインド人シャルカラですが、インドの日本人はサトウキビシャカラと呼んでいた可能性がある事が分かりました。

 私はシャカラ龍王が正しい発音だと思っていますので、キビ(サトウキビ)を龍王たちがシャカラと呼んでいた可能性は高いと思います。

 サトウキビの事を「キビ」と呼び、サトウキビの名前が龍王達のインドでの呼称がシャカラ龍王から付いたとするなら、皆が日本語でキビ龍王と呼んでいた可能性は高いと思います。(シャカラ龍王インド由来の名前なので。)

 まさかの展開ですが、得てして根っこが一つてある場合は正解が多いので、私はサトウキビシャカラ(龍王)も日本語で同じ「キビ」だったとしたいと思います。♥

 一晩寝てスッキリすると、情報が整理出来ました、薬の開発は日本人の発明とも言うべきものであることはメソポタミアの頃から分かっています。

 月王家釈迦族キビを精製して「砂糖(薬)」を開発し、周りに居たインド人はそれをシャカラ龍王が作り始めたものとして、「シャカラ」と呼び、訛って「シャルカラ」とか「シャカル」と呼んだとする方が適切だと思います。

 つまり最初は釈迦族長の阿羅漢としてシャカラ龍王(これもあだ名のようなもの)だったものが、ちょうどお釈迦様の頃に砂糖が開発され、シャカラ龍王と同じ名がつき、日本人達はキビと呼んでいたのでシャカラキビとなり、日本では日本語でキビ龍王と名乗っていた為、「きびのこ」と記録されたが正解だと思います。

 シャカラの語彙が「釈迦族長で阿羅漢キビ(サトウキビ)の名前」へと変化した為だという結論になりました!♥
(≧⁠▽⁠≦⁠)

 龍海