古代史を研究するための資料、「日本人の系譜」を作っている事をお伝えしていますが、その中に盛り込むべき太伯系の系図を調べています。
取り敢えず、『諸系譜 第2巻』に載る「松野連姫氏」の系図を作りました。
初めて見る人もいると思うので少し紹介すると、系図そのものは色々と疑義が唱えられているようです。
最も特徴的な部分は「倭の五王」が系図に出てくる事です、一般的には倭の五王はヤマト王権の誰かだと扱われていますので、即ち偽情報だと思われているのでしょう。(私も詳しくないので…)
しかし太伯系は地神としてクナト王系と連動していた事は確実でしょう、そうでなければ東日流外三郡誌と整合性がとれません、東日流外三郡誌でも自身の勢力以外がヤマトを攻めた事が書いてありましたので、私は逆に太伯系なら納得なんですよね。
加えていうなら、太伯系の中で猿田彦や才ノ神の血筋が濃い人達が倭の五王だとも思っています。(なので、太伯系と思っていたのか、猿田彦系と思っていたのか? 松野連は太伯系と認識していた事になりますが………)
ここは王の意識の部分なので、超難しいのですが、誰が何をしたかで判断するより他ない部分になります。
系図をチェックすると、年号の分かる記述だけを見ても整合性がとれないことが分かりました、コレは先祖のうちで名前が分かる者だけを時系列に並べている系図だと思います。
太伯系の姓を見ていると漢字一文字であった事が研究していると出てきています、「忌→大」、「高・闇・松」など派生氏族は多く有りましたが、松野連が記憶する名前が系図に出てくる人達なんでしょう。
伝承研究から入った私のような人間はそう読むのですが、他の方はどう読むのか、一度話を聞いてみたいなと思います、だってやっている事は同じなのに、結論が180度違う事があるからです、私などは多くの研究者が思考法を共有することで、この世界は新発見だらけになるという具合に見えています。
私一人で出来る作業には限界もありますし、いつまでモチベーションが保たれるか怪しいもので、難しく無くなったら飽きると思っています。
出来れば思考法を継承してくれる人が多く出れば、日本の歴史は丸裸にされるのも時間の問題だと考えます。
とまぁ、研究をしていると色々と考えさせられるのですが、今回は太伯系の系図自体が目的では無く、日本という国を構成していった豪族が生まれて行った経緯を探る目的ですので、これぐらいで良いでしょう!
龍海