今回は古代史の超有名人、「素盞鳴尊」について言及してみたいと思います。


 このオジサン、まだまだ完全に分かっている訳ではありませんが、分かれば分かるほど凄い人だったんだろうなぁ~と思うようになりました。


 どうしてかと言えば、普通に知られているイメージと違い過ぎるからです。


 なので、今日は素盞鳴尊のイメージをなるべく元のイメージに戻してみたいと思います。


 まず、このオジサン、「徐福」なんです、日本では徐福を一人の事として扱っていますが、逆に中国では「徐市の事を徐福」だと勘違いしているのです。


 だから漫才のように日本中国の双方が勘違いしたまま納得しているのが現状になります。


 徐市紀元前210年日本へと来ますが、その時に3100人を引き連れてやってきたと伝わっています、方や日本では除福500人を引き連れてやってきたと伝えています。


 しかし出雲の富家では素盞鳴尊の事をハッキリと除福と伝えていますし、素盞鳴尊紀元0年前後の人物なので、徐市とは違う時代だと分かっているのです。


 しかも素盞鳴尊とは後から呼ばれた名前で天つ神王朝からは「ソサノヲ」と呼ばれた事がホツマツタヱに書かれています、その意味は「ソサ(今の和歌山県)の男」という意味で、個人名とは言えないものだと分かります。


 じゃあ何で誤解されているのか?


 たぶん、天つ神王朝の大王、アマテル(男)を戦争で殺した為に、恨まれた為ではないかと思います。


 そんな素盞鳴尊のオジサンについて、一般には知られていない事を踏まえて紹介していきます。


 まずは血筋ですが、名前からしても徐市の系譜の者だと思います、日本には五男の国常立尊、七男の国狭槌尊が来ていますから、名前(徐一族のリーダーは代々徐福を名乗ると考えられます。)から考えても「長男の血筋」だと思います。


 では先祖が徐市になりますが、徐市の姓は「(えい)」である事が分かりました、だから始皇帝(名前は嬴政)は同じ姓の親戚となり、日本へと渡来する資金を出してくれた訳もわかります。


 そして嬴の姓は神農の長男の系譜になりますので、大王としての正統性は高いのですが、分家筋という弱みもあり、日本においては「月王家」の釈迦族であり、シャガラ龍王の方が権威として上だった様子があります。


 そんな紀元前後の頃にインド仏道の修行にでて七年、釈迦の教えである初期仏教を学んで日本へとやってきた除福和歌山県熊野に上陸し土着しました。


 その後は日本中を廻って徐市の足跡を調べ記録に残した様です。(だから、除福として色々な記録が残っている。)


 その後に大山積の息子、足名椎の娘の櫛名田比売を娶り出雲に拠点を移します、大山積とは徐市の系譜と太伯の系譜が結びついた大王家で、富士山を祀る事でその権威を示していました。


 その少し前から瀬戸内海へと土着した龍王達はシャガラ龍王月王家)を筆頭として、正統な日本の大王になるべく、連合軍を作り海を支配しました、それが日本海とその周辺域を支配する「上綿津見」、瀬戸内海とその周辺域を支配する「中綿津見」、そして九州の南部から和歌山県沖までの海と周辺域を支配した「底綿津見」を作り、それぞれの海域に「」を置き、大王はシャガラ龍王だったと思います。


 上綿津見韓国にも領域を拡げていましたが、村単位での諍いが起きていて、それを終息させる為に素盞鳴尊を招聘して、見事鎮圧したようです。

 その功績を認めシャガラ龍王から娘の「頗梨采女(はりさいじょ)」を娶り子を成して、それが「(しろ)」という国になり、後に「新羅(しらぎ)」へと発展したようです。

 この時に貰った称号が「牛頭天王(ごずてんのう)」ですが、この称号を受けた地が牛頭(そしもり)という地になり、山名として途中まで残っていた事が確認されています。

 この牛頭天王という称号ですが、先祖の神農を表す表現に「牛頭人身(ぎゅうとうじんしん)」とあり、よく絵では角のある妖怪の様な姿で描かれています。



 これはメソポタミアに遡る大王、「牡牛神」に由来する表現であり、メソポタミアの始祖、牡牛神に匹敵すると称賛された為と思われます。

 また「天王」という言葉は「天部の王」という意味で、仏教の概念なんですね、京都八坂神社でも伝承されている通り、「祗園精舎守護神」というのはダテではないのです。

 また素盞鳴尊は「荒神(こうじん)」として祀られる事も多いのですが、私などは「荒ぶる神」だからだと思っていたら、元の意味は「三宝荒神(さんぽうこうじん)」を略したもので、「三宝仏法僧を守護する者」に送られた日本独自の称号である事を知りました。

 だから最初は龍王達が、そして帝釈天弁才天梵天たち天部の人達、その後は〇〇権現や〇〇明神、〇〇などの阿羅漢三宝荒神だった訳です。

 それが全て素盞鳴尊にとって変わっているのですから、凄まじい人気だった事が分かりますよね。

 他にも蘇民将来の伝説なども、嘘ではなくて似た話が実際にあった可能性もあると思います。

 じゃあなんで、アマテラスと喧嘩して悪者になっているのか?

 最初にも書いた通り、アマテル(男)を殺したのは素盞鳴尊だと考えられます、しかし天つ日嗣が犯した失策により、太陽王家地神王家から責任を追求されました。
 ※素盞鳴尊に味方したのは太伯系猿田族才ノ神を主力とした地神達だったと、素盞鳴尊を祀る日御碕神社の狛犬から分かります。

 その時に助けたのが、月王家であり地空神であった月読尊(たぶん大山祇サクラウチ)だったと思います、娘の瀬織津姫アマテル(女)として太陽王家の大王として認めさせる代わりに地神王家との間を取り持つ事を約束したと思います。
月王家は元々、地神よりなので、地神たちも月王家にならば従うと約束したと思います。

 そして素盞鳴尊には1代限りに結果的にはなりましたが、独立王朝として「出雲王朝」を認め大王として祭祀権を渡したと考えます。
※という事は、アマテル(男)はユダヤ・初期仏教を認めず、道教のみを国教として扱った事が原因として考えられます。

 素盞鳴尊の時代に出雲王朝は日本最大の領域を持つ国へと発展しましたが、後継ぎのオホナムチ(弟ヤシマシノミ)は天つ神王朝に属すことに反対し左遷、次を継いだのは双子の兄でヲヲナムチ(兄ヤシマシノミ)は喜んで天つ神王朝に入ったので、「大国主」の称号と、「エミス神(恵比寿)」の神号を天つ神王朝から貰った様です。

 この二人の大己貴命の末裔が、富家神門臣家となって出雲に続いていきました。

 ではアマテル(女)と素盞鳴尊は仲が悪かったのか?

 私はそうは思いません、建前としてはアマテル(男)を殺した素盞鳴尊に対して「ニコニコ」する訳にはいかない事は当然ですが、妹の稚桜姫素盞鳴尊へと嫁ぎ、塩土老翁を生んでいるようですので、表と裏を使い分けていたとしか思えません。

 あと、素盞鳴尊大宜都比売命を殺したら穀物などが出てきた話は「メソポタミアの伝説」を語り継ぐ上で、憎き素盞鳴尊を採用したと考えられ、史実では無いことも分かりました。(メソポタミアの時から既に神話です。)


 とまぁ、こんな具合に牛頭天王という異形の怪物で、大宜都比売命を殺した伝説を持ち、荒神といわれた乱暴者の素盞鳴尊は、実は仏教の守護神で、徐一族の正統な継承者であり、残っている伝承からすると、頭もよく、戦っても強かったスーパーマンの様な人物だった様です。
※それだけに、同時代に生まれたアマテル(男)は不幸だったとも言えますね。

 いかがでしょうか、素盞鳴尊ほど誤解されている人はいないんじゃないかと思いませんか?

 この素盞鳴尊の名跡を継いだのが「小野一族」なんですよね、小野一族の皆さんは素盞鳴尊の後継者なので、小野家の皇祖神でもありますから先祖として自慢してあげて下さいね。

↑ 素盞鳴尊の版画(背景に龍がいますね。)

 喜びますから。

 龍海