龍王が日本に渡来してきている事に気づき、どこへ渡来したのかを探るのに「龍王山」が使えることに気づいてからしばらく経ちましたが、着実に情報が収集できています。

 



 これまでどうして気づかないのか、答は知っていても証明は難しく、恐らく人間の狭量さが原因なのですが、たぶんそれに反する作用として私が存在しているのです。

 

 日本という国は7500年前には「陰陽思想」を持ち「王家を2つ」並立させる事でバランスを保っていました、四千年前からは「太陽王家と月王家」が海外を支配し、日本は地神王家がいたのだと思われます。(太陽と月はどちらも天神王家としてあり、地神王家と対を成していたと思います。)

 

 紀元前3世紀の富士山の噴火により地神大王家が滅んだと思われ、天神王家が日本へと戻ったのが「徐市シャガラ龍王」の太陽と月の両王家だったようです。

 

 地神王家の分家としてあった「クナト王」の系譜に対し、天神王家は日本を乗っ取ったと解釈されても仕方の無い内容が、分かって来ています。(名目上としては大王として扱われてはいないとなりますが…)

 

①天神(太陽王家)→天神+地神→大山積

         →高皇産霊尊

 ※大山積が実質の大王家

②天空神(月王家・龍神)+地神→地空神(龍神)→大山祇

 ※大山祇が実質の大王家

→天皇家(天空神王家※アマテラスウガヤ

 →小野氏(地空神王家 ※神武天皇〜)

 →橘氏(地空神)

 →尾張氏(地空神)

 →和邇氏(地空神)


③徐福(素戔嗚尊)+地神→出雲王朝(地神王家)→熊襲→蝦夷

 

 龍王達はこれまでは徐市より前に日本へと帰って来ていたと推測していましたが、各地の伝承を見ていると、どうも後から帰って来たのではないのかという印象がぬぐいえなくなってきています。

 

 ホツマツタヱによるとクラキネの妻は「九頭龍王の娘」を妻にしてモチコを産んでいます、これが徐市の系譜と龍王との最初の婚姻関係のように見えます。

 

 つまりクラキネの時代に龍王達は渡来したと考えると、残された伝承を理解するのに都合が良さそうなのです。

 

 今回見つけた香川県まんのう町にある「竜王山」には「水婆女」(たぶんミズハノメ)が「龍王神社」に祀られていました、住んでいたのは近くにある「龍王池」と伝承しているので、「竜王ミズハノメ」として間違いないでしょう。

 

 古事記でもミズハノメとはイザナミの死とともに誕生していて、時代観が合うのです、イサナギイサナミを擁立したのは豊受大神ですが、その前のオモタルカシコネに何があったのか? もしかして龍王達とトラブったのか?

 

 太陽王家が勝手に日本の大王となっていた事に腹を立てて、日本へと渡来してきたようにも思えます、その中で九頭龍王だけが徐市に近づいていたようにも思えます。

 

 中国の覇権を巡って太陽と月が対立していた様子も、中国の皇帝が「」をシンボルとして使っているところからも分かります。(龍は月王家のシンボルです)

 

 大山積の後の大山祇(サクラウチは月夜見の第一皇子、娘の瀬織津姫は龍神)を月王家から出しているところを考えると、先の推測は的を射ているのかも知れません。

 

 龍王の情報が揃うと日本の古代史の全貌が見えてくるかも知れません、龍王達は「海軍」が海の見える山を支配地として、「陸軍」が内地の山を支配地にしているようです、現地の山を登るとその様子がよく見えます。


 また韓国の神話には日本とは違い「龍王」や「」がよく登場してきます、特に新羅は建国に際し龍王たちの系譜が関わっている内容になっているようです。


 表現として現れる「」とかも同じで、明らかにルーツが同じである事を表現しているようです。

 

 また別の史料には中国の皇帝で神農の末裔が、三皇五帝の時代に日本を統治下に置こうとした事が書かれていて失敗に終わった事が書かれていました。


 日本は世界に文明を広めた特別な国なので統治下に置こうとしたが、日本の神々が天地自然を操って軍勢を退けたそうです。(その頃の日本は人数も少なく、人間対人間では戦いにもならなかったでしょう。)


 これらの記述からは母国を守るという意識はなく、寧ろ日本(母国)の王になりたいという意識があった事を示しています。


 つまり、富士山の噴火により日本の地神大王家が滅んだことにより、太陽と月の両王家が二千年ぶりに日本へと入り王家を復興させた事になります。


 やはり人の歴史は複雑なものです、しかし最後まで親日本としてあった王家が、日本へと戻り復興させた経緯があった事も分かりました。


 日本の歴史が明らかになるのももう少しですね。

 

 龍海