昨日の事ですが、温泉に入りたくなって入った後に、下図の通り道を走っていて、竜王山の近くを走っていることを思い出したので、ついでに行って見よう!となって、風呂後なのに山登りしてきました。(もう汗だくです。)
旗の位置がドチラも「竜王山」なので、「子竜」の支配地だと想定していた場所になります。
山の西側、峠道から山に入りましたが、コチラからは余り人が入っていないようで、原野に近い状態になっていました。(かろうじて、道かな?という状態でした、ピンクのテープが目印として木に巻かれていたので、迷いはしませんでした。)
途中にあった磐座です
最近はペトログラフ(線刻文字)が無いか見るようにしています。
大きな岩が割れて、左に倒れた様子が分かりますので、自然石ですね。
山頂かと思いパシャリとしましたが、尾根へ出ただけで、山頂はもう少し先でした。(急坂です。)
竜王山の三角点まで来ました!
しかし磐座群などなく、支配地を示す為だけの山名の様です。
ここには戦国時代に城もあった事が現地に書かれていました。
ここで帰ろうと思ったのですが、地図を見ていた嫁が「龍王宮」があると私に告げて、事態は急変します!♥
GoogleMAPで拡大した時だけ現れるので気付けなかったんです。
道を見ると車では行けそうに無い位置にありそうです。
また降りて登る事を考えると、このまま行くか!となり、行程が倍になりました。_| ̄|○
山頂からの行程は予想していたよりも比較的わかり易くなっていました、途中にあった表示には「竜王山の表示」に対して対立があった様子がありました。
書かれていた内容から想像して、対立理由としては竜王山の位置が違うという意見があるのだと思います。(龍王宮に行くと理由が分かります。)
山頂には地蔵菩薩を探査した表示がありました。(伝承としてあるんでしょうね!)
山頂から龍王宮へと向かう途中にあった展望台です。
展望台からの景色です。
龍王宮につきました。(裏から見た景色になります。)
磐座群がありますが、自然石そのままではなく意図的に配置された印象があります。
立派な石碑です、この石、現地で調達したんでしょうね〜、重すぎて運べません。
コンクリートブロックで出来た社ですが、お世話をする人は多いようです。
中には「八大龍王」の文字が!
つまり、ここは八大龍王神社の跡だと考えられます、という事は他の地と同様で、この龍王宮のある山が「龍王山」で八大龍王の一人がいた山になります。
先程の竜王山の表示でモメた様子は、この龍王宮のある山が「竜王山」だとする人がいて、先の三角点の地は違うと主張しているのでしょうかね。
私の解釈では、龍王宮のある山は低いながら「龍王山」で、山頂は「竜王山」で正しいのではないかと思います。(展望台があった所も城趾で竜王山なのかもしれませんね、その場合は区別はつかないでしょうね。山頂は間違いなく城趾でしょうから。)
もし山頂が「龍王山」なら間違いだろうと思いますが、「竜王山」の字を使っていますので、子供が二人いたんだと理解出来るからです。(西にもう一つ竜王山があるので…)
つまり「龍王山」の名称が消えているのだと思います、コレは復活させたいですね、八大龍王の一人が土着した証拠なんですから。♥
↑ 龍王宮からの景色です。
↑ 開けていた側から見た龍王宮です。
この後、山を降りて、別の登山口に行くと、親切な看板がありましたので、パシャリ!
龍王が瀬戸内海へと土着した事に気付かず、このまま数百年が経った時に、龍王宮があった事は伝説になっていたかも知れません、もしそうなっていたなら龍王の存在に気付くのは至難の業となっていたでしょう。
地元の人達が保存活動をしてくれていたので八大龍王の一人がこの山にいた事を知る事が出来ました。
龍王の研究から龍王宮のある山は「龍王山」だと私なら証言出来ますので、対立点も無くなるんじゃないでしょうか?(答えは、もう一つ龍王山があるが正解!)
二千年以上前の情報は未だに現代まで伝わっているのに、人々は気付けないものだという事がよく分かった一日でした。
龍海