↑ 龍王山の分布図などを載せてます。

 今日は、この前気付いた「梵天神社」の本社とその周辺にある大倉龍王山龍王山、他の神社にも寄って手掛かりを探して来ました。


 この様な配置にあり、両龍王山の間にある地区が「美星町」になります、今は井原市美星町ですが、かつては小田郡に属していた事を図書館の司書さんに聞いて知りました。

 の伝説のある矢掛町の北から大倉竜王山へと向かいました、途中に「三宝大荒神社」という神社があり、三宝荒神とは「仏法僧三宝を守護し、不浄を厭離(おんり)する佛神である。」とあり、ここでも仏教の概念の三宝荒神神社で祀られています。

 しかも三宝荒神とは日本のオリジナルの概念なので、外国の仏教には無い概念のようです、よって龍王によって生み出された概念であり、三宝荒神とは龍王の末裔達の持っていた信念であるとも言えそうです。

 「龍福寺跡」の石碑があり、龍王福一族との関連を推測させる名前がついています。

 鳥居の奥に小さな社があるだけですが、社とは此処に「三宝大荒神」と呼ばれた人物が住んでいた可能性が高く、偉人でありながら質素な生活をしていた事を感じさせます。

 懸額の文字が「三宝大荒神」となっていて、ただの三宝荒神ではなく、筆頭格または本家と呼べる人物の社だと「」が付いている事から知る事ができます。(春日氏の本家筋が大春日中臣氏の本家筋が大中臣など、昔から同じ使い方をしています。)

 境内の石組みに丸い玉の様な出っ張りがありました、わざと丸い玉石を据えている様なのですが、意味がスグにはわかりませんね、玉一族と関係あるのですかね?

 この地は、実は山間の狭い地域で、家も少ない地域なんですが、地図で見るとやたら神社がある事に気づけます。

 先程の三宝大荒神社は地図では右下の「三宝荒神社」となっていますので、行かないと気付かない情報になります。

 次は「正八幡神社」に行きました、八幡神社といわれるとこれまでは単純に古い神社という認識でしたが、この正八幡神社、もしかすると宇佐八幡宮元宮じゃないのか?と思わせる神社でした。

 鳥居のちょうど右下あたりにも大きな磐座があり、参道は今はセメントで道が固められていますが、かつては岩場の道で「修験道」の道だった様子がありました。

 懸額は「八幡宮」ですが、別の参道の鳥居には「正八幡宮」とありました。

 山頂の神社は広く、龍王の子孫が住んでいた跡と言われても遜色ない感じでした。(民家はとても少ないのにですよ!)





 神社右奥にあった磐座群です。

 土に見える所も岩の上です。

 宇佐八幡宮はここにあった八大龍王の「(ばん)」を移した神社じゃないのかって思ってしまいます。

 だって八大龍王は尽く岡山県や広島県徳島県香川県に土着していたと考えられるからで、「」を納めた神社があったならば「岡山県」が最有力候補候補地になるからです。

 地域の伝承を聞いてみたかったのですが、誰一人見かけませんでしたね。(笑)

 参道からみた集落の様子です。

 次に訪れたのは烏頭(うとう)八幡神社です、この烏頭、地名なんですが、小野小町の伝承でも登場する「善知鳥(うとう)」と同じ読みになります。

 私はメソポタミアの日本人を知っていますので、シュメル語の「太陽神ウトゥ」をどうしても思い出します。

 もしかすると太陽神ウトゥの末裔が名字の様に「うとう」を名乗っていた可能性もあるのだと思っています。

 どこかの神話か伝説で太陽神の末裔と聞いているなどと出てきたら、「ビンゴっ!」となりますので、皆さんも「うとう」と聞いたら太陽神ウトゥとの関連を疑って下さいね。

↑ 烏頭八幡神社の参道です。

↑ 備中には沢山ある「辻堂」の様な感じでした、辻堂は龍王の末裔を祀っていたものが、仏様へと変化したものかも知れません。



↑ 有力豪族について触れています、室町時代まては龍王の末裔がいたかも知れません、戦国武将に三村元親がありますので、三村が龍王の子孫なのかも知れません。

 五輪塔と石碑と辻堂が並んでいるのは、神社の下の駐車場の脇なので、神社が室町時代よりもはるかに前だと感じさせます。(五輪塔が室町時代頃と思われる)



↑ 文字までは読んでいません

 こちらにも五輪塔が、ありました。

 お堂にはお地蔵様がありました。

 次は烏頭荒神社に行きました、

神社横にあった磐座(いわくら)

 狛犬は新しい

懸額は「三宝荒神」、私はこれまで荒神様というと荒ぶる神の事で、だから素盞鳴尊だと思っていましたが、どう考えても「三宝荒神→荒神」と略されただけの様です、素盞鳴尊が荒神とされるのも仏法僧の守護者だからだと分かりました!

 根っこを辿ると言葉の意味も分かってきます、どうしてこんな単純な事がちゃんと伝わっていないのか?

 同じ岡山県に住んでいても「初耳」の解釈になります。

 次は大倉龍王山に行きました。

↑ ここが大倉龍王山の山頂になります、すぐ下に美星町の天文台があり、そこまでは車で行けるので山頂までは一分も掛かりません。

 山頂には環状に岩があり、人為的に置かれている印象があります、正面奥に以前は「龍王神社」が祀られていたと思われ、後から行った明釼(みょうけん)神社に社は移されていました。
 天文台の駐車場からの景色ですが、遠くまで見渡せる通り、周辺の山より頭一つ高く、山頂の下は別荘地の様になっていて、暮らしている家もあり、高原の暮らしを垣間見る事が出来ます。

 次は明釼(みょうけん)神社です。

↑ 参道の桜と神社

摂社ですが後から移されたものですね。

↑ 大倉龍王山にあった証拠です。



懸額の「玅見宮」は妙見宮と同じで、「」の字は古代文字だそうです。(日本語の説明では妙の異体字とだけ出ますが、中国語の方には古代文字との回答が見えました。)

 左右の出窓に随身がいて、ここも二人ずつ左右にあり、新旧が併存しているようでした。

↑ 左が新しく、彩色してあります。

反対側も同様てすね。

 ↑ 神社に掛かっていた額です。

↑ この古い方の随身、平安時代くらいないですか?

↑ ボロボロだからではなく、私の骨董感覚からくるものです。(骨董を長くやってると時代感がつき、知らないものでも何となく時代が分かるようになるんです。いわゆる、勘ですけど。)

 妙見神社は全国にありますが、妙見とは「北極星」または「北斗七星」の事で、仏教には「妙見菩薩」がいます、これまでの様子からも
古代の称号の変遷が次の様になっています。

龍王→竜王→金毘羅(クンビーラ)
タクシャカ龍王→七面天女
シャガラ龍王→善女龍王
龍王→竜王+七面天女→毘沙門天
          →七面天女(二代目)
龍王→竜王→梵天
龍王→大倉竜王→妙見菩薩
龍王→瑜伽(竜王?)→地蔵菩薩?

とこの様に、キレイな規則性が見えます。

 この後に行った「龍王山」の山頂には「竜王山」の表示もあったので、同じ山を継承した竜王がいたようです。

↑ 地図には表示されない、実は重要な情報です。

↑ お墓の様な石組みの上にあった祠です。

 竜王山が2つある事から、この龍王には息子が二人いたと思われます。

 少し離れた総社市の地名に「竜王」というのがありますので、山を降りた竜王もいた可能性があります、これを含めると三人の竜王がいた事になります。

 真ん中2つの竜王山が今回行ったところてすが、龍頭の地名は名前なのか、龍王の配下の誰かなのか悩みますね、竜門の滝のように、普通に考えれば地名への入口を指すような気がしますが、龍王を起点に子孫が右へと流れているので、左が龍頭になったのかも知れません。(だとしたら、少し後についた地名だと思います。)

 梵天妙見菩薩を生んだ龍王は誰なのか気になりますが、山には情報がありませんでした。

 仏教か郷土史にあればいいんてすけど…

 順番が前後しましたが、越出神社梵天王宮)です。







 瓦に神紋があるのかと思いズームして撮りましたが、どうも「寿」の字を崩したもののようですね、残念。

 今回も大収穫でした! 
 梵天だけでなく、妙見菩薩岡山県人だった可能性が高くなりました(ローカルな喜び)!

 そして一定の規則性、恐らく部族の長として「龍王」の称号は継承しつつ、宗教者としての称号「〇〇羅阿羅漢」、「〇〇天天部八衆の称号」、「〇〇菩薩←更に仏教の上位の称号」を名乗っているようです。

 広島県香川県徳島県も調べないといけません。

 もう一つ大事な事を思いだしました、美星町には菊池神社があり、九州の菊池一族が移り住んでいるようです。

 まわりには菊池姓があり、荒木とは菊池から分かれた姓であるのかも知れません。

 私の近所にも菊池武政から分かれた一族が武政姓を名乗っていますので、九州との繋がりを感じさせます。

 あと気になったのが、

 「絵具那」という地名、「えぐな」としか読めないのてすが、検索しても出てきません。

 植物のセリの異名にエグナがあるようですが、コレでしょうかね?

 いかがだったでしょうか、岡山県に残されている龍王の足跡を集中して見てきました、龍王の名前がなければ何処にでもある神社が、とても意味のある神社となっています。

 福岡県龍王山にもすぐ横に竜王山がある様子が訪れた方からのブログから見えましたので、岡山県と同じ様子を見せています。

 私は龍王山とはインドにいた龍王が日本へと土着した際に領地を示す指標として名付けた山だとしたいと思います。

 紀元前後の豪族は山を領地の指標としていたとして良いと考えます。(龍王や呉の末裔に共通している点です。)

 古代史の研究は本に書いている事だけを追いかけても答えは出ない事がこのような作業からも分かると思います。

 古代人の視点で物事を考える事が重要だと考えます。

 龍海