古代人の思想が理解できるようになってきて、これまで蓄えていた知識を再評価していた過程で(脳内で)気付いた事がありました。


 私という人間は「出来るけど、したくない」という事が多々ありまして、いわゆる「ナマケモノ」なのですが、小野一族やとくに小野篁とは共通している点だなぁとしみじみ思うのです。


 よく考えると、メソポタミアンたるご先祖も同じ過程を通って来ているんじゃないか? という事に気付いちゃったんです。


 中国からエジプトまで思想知識宗教を支配・指導したご先祖どもですが、その生活は意外にも質素なもので、中核を成した知識人どもは大きな石の建造物も残さず、自分では記録を残さず、他者が残した記憶だけになっています。


 こうなった様子が私にはよく理解できて、他の人には「脅威の知識」であっても、本人にしてみれば「普通に知っている事」に他ならないのだという事です。


 だから、たまには「」に祭り上げられはしますが、基本的には、王をしたい人がして、そしてモメた時には「天(神)」に神託を求め、に決めて貰っていたのだと思います。


 メソポタミアの王名表にある「が選んだ王」とはこの様な経緯で選ばれた王なのだと思います。


 この時に「天(神)」とされたのが日本人であり、この系譜が「(あめ、あま)」を名乗りに使い、卑弥呼の息子などの「天足彦(あまたらしひこ)」という名前は、メソポタミアの「」を継ぐ正当なリーダー(日子太陽の子)という意味となり、日本(やまと)という国土の中のリーダーという意味が「日本足彦(やまとたらしひこ)」となり、卑弥呼世襲足媛)の息子が「天足彦国押人命日本足彦国押人命」の名乗りなったと思います。


 ヤマトという語には他にも意味があるんじゃないかなと思うのは、「」に匹敵する何かが無いとオカシイと思うのは当然だろうと思います。


 しかし上下関係でいえば、メソポタミアンの意識が強い龍王系・ギルガメッシュ系・中国系は「」を、クナト王系は「ヤマト」を大事にしている感じがあります。


 なので、ヤマトだと考えるのが妥当です。


 これを人種的にみると)はキルギス系じゃないかなと思いますが、ヤマト)はドラヴィダ系じゃないかなと思います。


 つまり、今は一つの民族として成り立っているので、この2つは別の解釈になっていますが、元々はそれぞれの民族の「神様」を表す言葉ではなかったかと推測できます。


 私は「」というものは、この世界にピッタリ重なる「反物質の世界」のエネルギーで、「自我」と呼ばれる「」が固有の「情報を構築・保存して」、反物質の世界の「人間」を構築していると仮説を立てています。


 つまり、物資世界に人間が生まれると、反物質の世界にも生まれとなり、物資世界の肉体が滅んだ後でも反物質の世界で生き続けるのが、「」という存在だと認識しています。


 そして、その知識体系を「生命の樹」と呼び、「悟りの境地」にたどり着いたものをノアの場合は「生命を見たもの」と表現し、釈迦は「仏陀悟りの境地に達した者)」などと呼び習わしたと考えます。


↑ 生命の樹

 逆にその「をベースとする」から神託を賜わったのが、モーセキリスト卑弥呼瀬織津姫小野小町たちで、の言葉を伝える為、ユダヤ教キリスト教他では「預言者」と呼ばれ、日本では「巫女」と呼ばれているんだと思います。


↑ お釈迦さんメソポタミアンはハンサムだったらしいです。(表現上はキレイな顔をしている、だったかな。)

↑ シュメル人、ハンサムには見えないですね。(笑)

 当然ながら、反物質の世界(理論物理学者がブラックエナジーと呼ぶエネルギーのある世界だと思います。)から物資世界へと干渉するのは大変な事だと思います(基本的に物理的干渉は難しい)、だから「として干渉」するのが最も簡単なので、「背後霊(西洋では左右の天使)」という仕組みで、超古代から人々の補佐をしていると考えます。


 この仕組みからすると、輪廻転生という仕組みも理解出来ますし、反物質の世界にも「社会」があって、物資世界よりも文化が進んでいるけど、物資はないので「理論体系」だけが遥か先に進んでいる社会だと思います。


 時々は物資世界にそれを伝え、物資世界の文化を前に進めている様にも思います。


 話がそれちゃいましたが、メソポタミアンたるアジアの人達には本当は殺し合うほど喧嘩する理由はないんですよね。(兄弟親子喧嘩になるんてすから)


 ヨーロッパメソポタミアンの影響を受けているので、いわば同じ釜の飯を食った仲間という表現が近いと思うのです、じゃあ誰が喧嘩してるのか?


 簡単に言えば「エゴ」の強い人だろうと思います、メソポタミアン小野氏もエゴが少ないので、メソポタミアンたる日本人は名声を失っていますし、小野氏地神大王家だった名声を失っていて、ただの中流貴族としてしか認識されなくなっています。


 エゴが強い人は人の全面に立ち、人々を導く事が好きな人達でもあります。(いわゆる政治家ですね。)


 逆にナマケモノメソポタミアンは自分達が困るまでは、自分の周りだけを修正して対応してきているのだと思います。(狭域修正主義?、思いあたる人が多いんじゃないでしょうか?)


 数百年に一度、エゴによる歪みが大きくなった時に、ナマケモノが担ぎ出されて「革命」が起きて、社会構造が修正されているのが歴史だと思います。


 私はソロソロ、反物質の世界があり、相互に干渉できる事を物資世界に生きる人達も知るべきだろうと思っています。(逆に言えば超古代や古代の日本人は知っていた事になります。)


 つまり科学的に「あの世」がある事を知るべきだろうと考えます。


 現代のナマケモノとして、歴史を研究していますが、出てきた答えが今回のブログに集約されていると思います。(笑)

※笑えない人も多いんでしょうね~(笑)




 だから、小野小町たちは普通じゃない事に巻き込まれているんですよ、本人達の責任じゃないんですよね〜。(理解してあげて下さい、みんな被害者です。)


 龍海