前に私は「大山(だいせん)」に注目している事をお伝えしました、理由は出雲に近く、霊峰と呼ばれる大山(だいせん)の名前をつけたのが龍王でなければ誰なのか?
とても重要な意味があると考えていたからです。
太伯(呉の始祖)の子孫が日本に渡来しているという説(原点は中国にあり)を展開している方にお伝えしても、どうも理解してくれないので、「山(せん)」と呉音で名付けられている山名を調べてみる事にしました。
「山名 一覧」とググると、国土地理院の「日本の主な山岳一覧」がでますので、開きますと、次の様に表示されます。
ブラウザの「ページ内検索」を使って「せん」を検索すると、26件ヒットしました。
この内、山(せん)と読ませる山名を一つずつ見ていくと、
1.奈良県 弥山(みせん)
2.鳥取県 扇ノ山(おうぎのせん)
3.兵庫県・鳥取県 氷ノ山・須賀ノ山(ひょうのせん・すがのせん)
4.鳥取県 東山(とうせん)
5.島根県 鼻高山(はなたかせん)
6.岡山県 津黒山(つぐろせん)
7.岡山県 蒜山(ひるぜん)
8.鳥取県 矢筈ヶ山(やはずがせん)
9.鳥取県 大山(だいせん)
10.鳥取県 烏ヶ山(からすがせん)
11.鳥取県・岡山県 毛無山(けなしがせん)
12.島根県 琴弾山・弥山(みせん)
13.広島県 弥山(みせん)
がヒットしていました。
なんと顕著な偏りを見せています!
しかも龍王山と重なるような特徴があります、龍王山・竜王山は兵庫県・岡山県・広島県に多く、その北にあるのが鳥取県・島根県になります。
奈良県にも龍王山はありますので、奈良県も被ります。
これは上陸地を同じくしていて、山陰側に呉音の山(せん)があり、南側の瀬戸内海周辺を龍王達が支配した様にも見えます。
私は龍王が来る前に呉の誰かが来ていると思っておりましたが、この様子だと一緒に来ていると言った方が良さそうな様子を見せています。
呉という国は時代をまたいで2回興っています、最初が春秋時代の呉で、滅びたのが紀元前473年、三国時代の呉が滅びたのは紀元後280年なので、呉(三国時代)は違うようです。
呉(春秋時代)を興したのが「太伯」という人物で姓は「姫(き)」になります、姫姓は神農・黄帝の系譜にあたり、私の説では「日本人」になります。
考えられる選択肢は2つ!
①前473年に滅ぼされた後に日本へと渡来した
②滅ぼされた後、インド・ネパールへと移り、龍王たちと一緒に日本へと渡来
と考えられますが、ファーストインプレッションは①の方ではないかと思います。
山陰に土着した呉の人達の元へ龍王達が合流し、支配地を棲み分けたとする方が良い気がします。(時系列を示す指標が特に無いことや、日本人は日本へと戻り土着する以前にも、日本へと頻繁に戻っていた可能性が大きい様に思えます。)
そして奈良へは共同で進出したと考えられると思います。(この時点で既に合流していますので、呉の人達は龍王のグループに吸収されていったと考えられます。)
つまり呉の人達の基盤の上に龍王達が加わって西日本の勢力が出来上がったので、太陽王家よりも月王家の方が遥かに強かったという事が知れました。
岡山県倉敷市出土の桃核(上東遺跡)も、呉の残党ならば納得がいくと思います。(桃は中国が原産。徐市のグループの誰かが来たにしては違和感がありました。)
古代の支配地として山が利用された可能性は高いと思います、これでまた一歩古代史の理解が深まったと思います。(≧▽≦)
龍海