超古代から古代にかけての情報が私の中で蓄積されて、一つの規則性が見え、それが古代人の根底にある思想であると、なかば確信にいたりました。
↑ 生成AI 「龍王 陰陽思想」
今日は、それを図式化してみて、メソポタミアから日本における、思想(宗教)について考察していきたいと思います。
原点となる思想はアメナルミチ(陰陽思想)で間違いないと思います。
・男と女
・太陽と月
・大地と海(水)
・天と地
全てにおいて対となる存在がある世界を理解する為に生まれた思想が「アメナルミチ(陰陽思想)」だと思います。
これが幾何学と結びついて生まれたのが、「天は○」、「地は□」、間を繋ぐ「空は八角」という思想であり、この天空地と○□八角で世界を全て表現できると考えていたのだと思います。
メソポタミアの頃には既に天空神アンが存在していますので、7、8千年前には既に生まれていた思想である事がわかります。
陰陽思想の「太陽(昼)と月(夜)」が人間世界の陰陽を表し、空間の概念である天・空・地を表す時に初めは天と地だったものが、間の空間を表す概念が生まれ、○と□の中間として「八角」が生まれていると考えます。
天・空・地に属す部族には、それぞれシンボルを持ち、天は星、地は動植物・魚類・は虫類、空は鳥・風といった具合です。
アステカのケツァルコアトルは地(蛇)から羽が生えた蛇(龍)の原型であると考えられ、最初期の龍かもしれません。)
ケツァルコアトルの例もある通り、龍とは「空にある生物」であるのは、「地神の蛇」と天神との間に生まれたのが「龍(空神)」であるからだと考えます。
※私の説で、神の定義は「人を導く存在」
※空の蛇から龍という概念が生まれる
メソポタミアの「牡牛神(地神)」の元へ「太陽神シャマシュ」が合流した時に「天神地祇」となり、「魚神(怪物オアンネス、地神)」が分家して「蛇神」が生まれ、天神(シャマシュの後裔)と地神(牡牛神・魚神)が合流して「天空神」が生まれたんだと考えられます。
最初、天空神は天と地を繋ぐ存在として機能していたと考えます、しかしノア(ウトナピシュティム,伏義,天御中主神)の時にはメソポタミアを中心とした西諸国を「天神月王家」、日本や中国・台湾などの東諸国を「天神太陽王家」が祭祀王としてあり、国の政治を司る「王」は、太陽王家は「王」の称号を使用し、月王家は「主」を使用していたと考えます。(この称号、主が大国主へと繋がっていきます。)
祭祀王の称号が「皇」となったのはいつの時なのか、文献上は中国の三皇五帝の時代と思われるので、燧人 (すいじん) ,伏義 (ふくぎ,ふっき) ,神農からだと思います、燧人は神農の母方の親だと考えられる事から中国を担当していた地神の王(日本人)と推測されます。
そして日本からエジプトまで広域に影響を与えていましたので(祭祀王として君臨)、東を太陽王家、西を月王家が分担していたと思います、その様子は国旗の中に今でも残っているようです。(国旗は近世の概念ですが、国のアイデンティティを端的に表したものです。)
↓ 赤が太陽、黄色が月。(中国やメソポタミアの国旗は該当しませんが、文献から古代はこうなっていたと考えます。)
メソポタミアの蛇神(蛇族)が出世して「太陽と月王家」となっているようです、西諸国は広く月王家の下でも天神地祇・空・太陽と月に分かれ人々は活躍していた様子が各国の神々として残されていると思います。
ですから、各国の神様を調べると同じような構成が伝播しているのでは無いかと推測します。(ローマやギリシャにも影響は与えているハズです。)
この思想が発展して地域ごとに支流が生まれ、儒教や道教、仏教へと発展し宗教になったり、思想になったりしていったと考えられます。
龍王でいえば、八大龍王は中央に「キ・ミ=君=シャガラ龍王」を置き、周りを護る龍王を意味していたと考えられますが、黒・白の高龗は双子ではないかと考えられ、二人で一人扱いとなり八大龍王になった可能性があります。
ホツマツタヱの「キツヲサネ」は東西南北と中央を意味していますが、これは天の五行として「東西南北と中央」を示し、地の五行が「水・金・土・木・火」であったものが、天の五行が「方位」として独立しメジャーになったため、天の五行としての概念が薄れたものと考えます。
↑ 五行の相克図
龍の五行、「五色の龍」では八大龍王のうちで、東西南北を護る四龍王が青龍・白龍・紅龍・黒龍とに対応し、中央が金龍に対応していると思います。
それを龍王個人で示すと、優鉢羅龍王、高龗神(帝釈○龍王?)、徳叉迦龍王、高龗神(帝釈○龍王)が対応していますが、高龗神は二人の龍王の事で区別が付いていない様子があります(双子予想)、娑伽羅龍王たちが五色の龍に相当する人物です。
同じく、人の五行「五色人」も同じ思想の元に「赤人」「青人」「黄人」「白人」「黒人」とがあり、これは人種に対する定義として利用された概念だと分かります。
黄人の中に日本人は含まれていますが、日本人は特別優秀であったので「金人」としていて金龍も同じ概念から龍王の頂点を表しています。
道教は詳しくないので今回はスルーしますが、八卦などはこれらの概念の全てを反映していて、これに属する人々の運命を占って居たであろう事が推測出来ます。
またシャカ族の仏陀はこの世界観を「密教」として伝え、密教を理解した空海により図式化されたのが「両界曼荼羅」だと考えます。
世界の宗教が似ているなとは思っていた人は多いと思います、この思想をメソポタミアで生み出した為に全世界へと波及したと考えられ、日本へは仏教・道教・ユダヤ教として伝わり、それらが習合して「神道」になっていったと考えます。(戦争にまでなっているので、宗教会議は修羅場だったんでしょう!)
そして古代人の思想はあらゆるカテゴリに当てはめられていった事が考えられます、特に人の属性に当てはめたのが天神地祇と空神、太陽と月であったと考えられ、それを図式化すれば下図のようになると思います。
最小区分は八になりますが、素盞鳴尊の子が八人、アマテルの子が八人であるのは、この八区分にそれぞれが当てはまっているのではないかと推測しています。(ホツマツタヱのトホカミエミタメがこれに対応する言葉なのかもとは思いますが、仮説に仮説を加えるのは説得力が薄いので、また気が向いたらという事で、(笑))
天つ神王朝は天神王朝で「太陽と月」、特に出雲は素戔嗚尊を大王に据えて「地神王朝(出雲王朝)」として独立していたと思います、しかしこれは「素戔嗚尊」の一代限りの話で、跡を継いだ大己貴命(弟の八島士之身)は天つ神王朝と合流する事を拒み左遷され、その跡を継いだ大己貴命(兄の八島士之身)は許諾して出雲王朝は天つ神王朝(天神地祇の合同王朝)の大物主として実質の大王としてあり、両王朝で天神地祇を構成します。
しかし、宗教観に由来する「二項融合」とはなっても人の気持ちは別の話で、五瀬命の時に邪馬台国(ヤマト)を求めたのは、天神王家が「高天原(全部族を集めての会議・宴・祭)の主催地(素戔嗚尊の時にヤマトで行うようになったと考えます)、邪馬台国」の支配権を巡って地神王朝(主に新羅とクナト王系)に属する人達と天神王朝に同調する人達の間で戦争になります。
これを裁いたのが「空神」に属する出雲・尾張・諏訪・小野であった為、話し合いの結果、アマテル(女、瀬織津姫)の末裔としての神武天皇(天・空)を天皇家として天神を司り、小野家(地・空)を地神として天神地祇に分かれたと考えます。
その前は出雲(地神)に祭祀権があったので、祭祀権は地神となった小野家が引き継いで「上・下の小野榛原で皇祖神」を祀ったと考えられます。
そして日御碕神社で祀っていた素戔嗚尊を小野氏が祀るようになり、現代にいたっている訳です。
超ややこしい概念てすが、やっとスッキリできる解釈が生まれました。(書いててもややこしいと感じています。)
この時に割を食ったのが高皇産霊尊(天神)とクナト王系(地神、才ノ神、猿田族、熊襲)でしょうか、特にクナト王系は納得がいかなくて蝦夷として反抗・独立を続けていたことは歴史の示す通りです。
そして、これが日本の歴史の大きな流れだと思います。
伝わっていない内容が色々とあるんでしょうが(天井がザワザワと...)、ちょっとずつは解釈が進んでいますので、日本の歴史をみんなでアップデートしましょう!
龍海