↑ 卑弥呼の証明や小野小町の情報などを公開しています。



 龍海はいま、岡山県龍王を追い掛け回している状態にありますが、追いかけていると出会うのが○○羅という名前なんですね。


 この規則性のある名前ですが、どこから来る名前なのか考えていて、コレしかないだろうというのが「阿羅漢(アラハン)」なんですよ。


 馴染が少ない言葉なのですが、「五百羅漢」と聞くと、お寺なんかでは目にする言葉になり、多少はイメージが湧くかと思います。


↑ 観光三重から拝借した五百羅漢像

 じゃあ、阿羅漢って何かというと、ググって調べると、「応供(おうぐ)ともいい、尊敬・施しを受けるに値する聖者を意味します。インドの宗教一般においては、尊敬されるべき修行者をさしました。原始仏教・部派仏教では修行者の到達し得る最高位を示します。」と書いてあります。


 私の考えでは初期仏教の指導者・実践者であった龍王の末裔達はある基準をクリアすると「○○羅」という名を貰い「阿羅漢」の位になっていたと思います。(神の存在に触れたら「菩薩」の位って感じで…、要するに習字や空手の段位認定だと思います。)


 阿羅漢の「」は丁寧語と同じだと思われ「御言葉」の「」と同じなので、省略されて羅漢とも呼ばれているのが分かります。


 漢字の「」とは「おとこ」とも読みますから、初期仏教の実践者で男性のみが名乗れる「」・「称号」だったと考えられ、五百羅漢とは阿羅漢まで至った修行者が五百人ほどはいた事を現代に伝えていると考えられるのです。


 だから各地に残る伝承の中で「○○羅」とあれば、十中八九、龍王の末裔だとわかるのですが、これを探すだけでも大変な作業になります。


 これまでの研究から大きな流れそのものは掴んでいますから、それは本の中で示す事は出来ます。


 次にやってくるのは、膨大な量の歴史の再認識です!


 例えば大己貴命が双子で、かつ、出雲王朝大名持天つ神王朝から大己貴命と呼ばれているという認識の方が日本の中にどれほどいることか。


 素盞鳴尊徐福で、徐市とは別人であることなど、これまでの歴史観が全て吹き飛ぶ内容となります。


 私一人でも作業そのものは可能だと思いますが、それでは日本の歴史認識が変わるのは百年後だと思います。


 私としては日本人に架せられている訳分からない重しを取り除き、日本人の本来の姿を日本及び世界に知って貰いたくて、同じ歴史観を共有する仲間を増やそうと思っています。


 今、地元の人達に声をかけて協力を仰いでみてはいますが、固定概念が邪魔をする可能性は高いと考えてはいます。


 その場合は全国の皆さんに呼びかけて、同志を募っていきたいと思います。


 勿論、研究は平行して続けていますので(もともとポチポチとしかやってませんから、それでも早すぎて情報整理が追いついていません。)、龍王仏教との接続部分なども明らかにしていきたいと思います。


 研究なんかは苦手でも皆とワイワイするのが好きな方も必要になります。


 意欲のある人は「心の準備」をして待っていて下さいね。(笑)


 特に旧約聖書に詳しい方や、中国に詳しい人、インドに興味のある人、ブログを書くのが好きな人、色んな人が活躍できる素地はあると思います。


 とまぁ、こんな感じで、分かりすぎて困っている龍海からのお願いでした。(笑)


 龍海