↑ 研究成果を公表しています。


 今日は車の車検があったので午前中に車を出すと、昼過ぎには終わって、予定より時間が余ったので、近くの「福南山」へ登って来ました。


 ここは児島の北の端にあたる山で、龍王と名前が関係あるのか、無いのか、微妙な山でしたが、山名そのものは地名に由来しているようです、木花咲耶姫神社のある地が「倉敷市福江」と今はなっています。


 「」とは「」を意味する言葉ですので、地名としては古代は「」だったのだと思います。(玉野の「」と同じで漢字一文字なのは龍王に由来するかも知れませんね。)


 で、その「」の南の山だから「福南山」とそのまんまの山名がついたと推測出来ます。


 昔に一度登った事がありますが、その時は龍王の事も古代の事も、今ほど分かっておらず、健康増進の為に山登りしただけで、その時は古代の祭祀場があったんだぁ〜、ぐらいにしか思いませんでした。

↑ 出雲王朝の職名「大名持(おおなもち)」という名称が正確に残っています!(ヤマト王権では大己貴(おおなむち)命と呼び方を変えています。)
 管理していた人間が出雲王朝の者だと証明していますよね。♥
↑ 山頂から弥生式土器が出ているので、龍王達もこの山に登っていた事を証明しています。
 同時にこの辺りの遺跡は龍王配下の人達のものなので、また発掘されたものをチェックしないといけませんね。
↑ 修験道の人が登っていた事を伝承する「天狗」の文字、天狗猿田彦に象徴される通り、ドラヴィダ系日本人の事を意味していると思います。
 隣の直島に「才ノ神」の地名があるので、直島から来ていた事を如実に物語っています。
↑ 木花咲耶姫神社の本殿
 木花咲耶姫神社神紋は五弁花の桜に○木のマークです。(だから稚桜姫(瀬織津姫の妹)の神紋は八重桜と解釈しています。)

 桜の季節なので桜に関するウンチクをテレビで話していたのを聞きましたが、古代は「」が神様を意味し、神様が降りてきてお座りになる「(くら)」から、「さくら」となったと話していました。

 初めて聞きましたが、大山祇サクラウチサクラウシ)と名乗っていますし、娘たちも桜に因んだ名前ですので、可能性はあるなぁ~と思う次第ですけど、出典が知りたいですね〜。

 福南山はそれ程高く無い山ですけど、引き籠もりの中年にはヤッパリ少しキツイものがありました。(笑)

↑ 登り始めの鳥居です。
2/3程登った所で尾根に出ます、景色が開けていたのでパシャリ!
↑ 尾根にある鳥居です、懸額の文字は案内板とは違い「福南山明現宮」と読めますかね。
↑ 山頂にある神社跡です。

 山頂に大きな社があった事が窺われる石組みがあり、狛犬はどちらも「角無し」でしたが、狛犬そのものが新しい(江戸時代の文久だったかな)と思われ、木花咲耶姫神社には狛犬が無かった事を考えると、もともと狛犬は無かった可能性があると思います。

↑ 金刀比羅宮石鎚神社の摂社、修験道の山だという印象が強くなります。


↑ これが奥宮。


 麓の本殿の左後ろに「梛(なぎ)の木」があり、初めて梛の木というものを知りました、葉にはストレートに繊維が走っていて、確かに裂けにくい葉でしたね。


 特に歴史的な発見はありませんでしたが(大名持の職名が正確に伝わってあった事くらいですかね)、今回も健康増進には有益だったと思います。(笑)

 ただ歩くのではなく、目的を持って歩くと有益な気がしますね~。

 龍海