↑ 山口県小野小町について総括した記事をあげました

 

 

 龍王塚の時にも触れましたが、岡山県総社市八代宮山918には「神神社(みわ)」という神社があります。

 この神社は「木村山」という山の麓にありますが、竜王塚との位置関係は下図のようになっています。

 私は神神社(みわじんじゃ)という読みから奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)の分社だと思っていたのですが、それ自体は間違いではないのでしょうが、本当はこの「神神社」の方が古く、後から大神神社に組み込まれたものだろうと思うようになりました。

 

 その理由が同じ「神神社(みわじんじゃ)」の名前で存在している岡山市八大龍王神社にありました。


 近くに行く用事がありましたので寄ってみた訳ですが、現地に行くと「人々からどのような扱いをされていたのか」マジマジと感じる事が出来ました。


 山頂ですが、かなり平らに開けていて、龍王宮があった事を感じさせる境内でした。
 建物は随身門です。
 何故か随身が左右に二人ずつ、計四人の随身がいました。(初めて見ました。
 神神社の門額です。
 本殿です。
 神紋は上杉桐に似た五七の桐でした、何に由来するのかは不明です。
 ↑記念碑です。
 石碑、オンザ石碑という面白い祭り方をしていています。(意味がありそうですが、わかりませんね。)
 八大龍王と刻まれています。室町時代頃ですかね? 雰囲気的に。
 鳥居の懸額には「若宮八幡宮」とあるので、一時期はそう呼ばれていた事が分かります。

 この神社も今は神神社となっていて、大神神社の系統に属しているのだと思います。

 全国をみても「神神社(みわじんじゃ)」と読む神社は3箇所しかなく、静岡県にもう一つあってこちらには三輪明神という別の呼称がありました。(静岡県の神神社は三輪明神神神社なので、普通に大神神社の分社だと思います。)

 岡山市神神社はグーグルマップで検索すると八大龍王で出てきます、だからおそらくは元々は「八大龍王神社」だった可能性が高いのです。

 何故なら、金毘羅神社神神社などの「龍王に縁する古代の神社」がみな大己貴命に祭神が置き換わっているのは、管理する神社が大神神社に置き換わっている事を示しています。

 そして大己貴命素盞鳴尊の双子の息子とその子孫たちなので、初期仏教の保護者という点で一致します。

 その上で、古い祭神も今に伝えていますので、大神神社よりも古い事を逆に証明しているとも言えます。

 すなわち、総社市神神社大神神社よりも古く、八大龍王神社の後を受けたものじゃないかと思います。

 神神社の前にある池は「八代大池」と「はちだい」と読ませそうな名前に名残を感じますが、神社にも伝承にも八大龍王との関係は現地にも再度行きましたが見当たりませんでした。

 調べれば調べるほど、岡山県には龍王の足跡が多く残っていますが、仏教に伝わる八大龍王が来ていたとは誰も思っていないようです。(仏教の伝来が奈良時代の頃と習って思い込まされている影響だと思います。)

 「事実は小説より奇なり」という言葉もある通り、小野小町の伝承も、龍王の伝承も、日本人についても、事実の方がはるかに奇妙である事を示しています。

 虚飾を排し、事実だけを見つめれば、私の唱える説が真実である事は誰でも分かるハズです。

 邪魔をしているのは「思い込み」です、本来の日本人とは世界に文明を伝えた、スーパー縄文人を祖先に持つ、古代文明を発祥させた民族です。

 先祖に恥ずかしくない生き方をしたいものですね。(特に政治家の人達に伝えたいですね。(笑))

 龍海