↑ 吉備の児島 山の名前 古代地名をアップしました。



 ↑ 児島の山の名前や地名で重要と思われるものをピックアップしたもの

 

 いきなり画像ですみません、今回は善女龍王との関係から紀元前219年に日本へとやってきたシャガラ龍王吉備の児島に最初に根を下ろした場所と分かった為、急いで山の名前に他の痕跡がないか調べたくなり実施したものが上図になります。

 

 図の通り古代は吉備の中海と呼ばれた大きめの島の一つでした、名前の由来が「シャガラ龍王(子供=善女龍王の島」と呼び習わした為かどうかは、真偽定かならずですが、私は可能性は高いと思います。(他に仮説は存在しないので。)

 

 調べた結果はというと、私からすると児島というのは同じ倉敷市であり、地元の地域でありながら知らない事が地名や山名から分かる事になりました\(^o^)/、特に隣の「直島」は重要な地であったようで、以前にご紹介した「竜王山才ノ神」よりも前に、シャガラ龍王は前もって「才ノ神」に連絡をとっていて、直島で落ち合っていたと思わせる様子が残っていました。

 地名に「才ノ神」、「ヘキ」、「ヘラガ崎」、「モロ礁」などがあり、山名には「チキリ峰」があり、アイヌ語でチキリとは「」のことだそうです。(山から見た直島が足に見えたからなのか? 現地に行かないと分からないですね。)

 

 つまりクナト王のグループの一部が今のアイヌになったと証明する上での傍証が出てきた訳です。(岡山県に証拠があるなんて誰も想像出来ないですよね〜! これも伝承あるあるで、関係ないと思う地に残っていたりします。)

 

 また今は「直島」ですが、古名を「京(みやこ)」としていた可能性がありました、山名に「京ノ山」であるとか、上にある島の名前が「京ノ上臈島」という名前だったりします、いずれもが島の名前が「京(みやこ)」だったことを伝えています。(ただし、この名前は才ノ神のグループが呼んでいた呼称だと思います。)

 

 そして重要なのが、山名に「地蔵山」というのが、直島と児島側にも見える事です。(近接域に2つあるのは理由があるハズ!)

 

 他の場所であれば、お地蔵さんを信仰していた地域なんだなと思うだけですが、仏教をもたらしたシャガラ龍王龍王達、そしてユダヤ教才ノ神達が紀元前にいた所に「地蔵」の名前がある事は特別な意味を持つと思います。(地蔵の名前を検索すると鬼のように沢山出てくるので統計的な見方をすれば弱い仮説になりますが、可能性はあると思います。)

 


 すなわち、地蔵菩薩とは才ノ神龍王両方の血縁者ではないのか? そして今の直島で生まれたのではないのか? という事です。

 

 児島の中にも「地蔵峠」という地名もありましたので、地蔵菩薩とは石のお地蔵さんの事ではなくて、仏教の伝道者菩薩の位を授かった実在の人物という事になっちゃいます。

 

↑ お地蔵さんのイメージ

 菩薩という位は「生前にの存在にふれた者」という定義があります、そして昔は小豆島(しょうどしま)も児島の一つでありました、そして小豆島には有名な「寒霞渓」という渓谷があります、この寒霞渓は「神懸(かんかけ)」という字を当てていたらしく、私は地蔵小豆島寒霞渓にいた時に「神懸(かみがかる)」った為に菩薩の位をもらい、地蔵菩薩として全国を広く歩いたのではないかと思います。(条件が揃いすぎています。しかも紀元前2世紀頃なので、伝承が残らず地名にのみ名前を残す事になったのだと考えます。)

 



 児島側に「茶ドラ山」というのがありますが、「チャドラ」とは韓国語で「石英」を意味するようです、韓国には龍王クナト王系も行っていますので、古代の日本語の一つなのかも知れませんね。(意味が分かるという意味で伝承されている所が、アイヌであったり、韓国であったり、伊予愛媛県)であったりしてるだけで、元々は古代日本語として皆使っていただけのことかも知れません!)

 

 他にも「祇園山」(祇園精舎釈迦の修行した所で仏教の聖地である所から、祇園という地にあった建物という解釈がなりたち、祇園山にも精舎があった可能性がある事になります。)が二カ所や、島の名前が「荒神島」など、素戔嗚尊が来てしばらく滞在していたことを想起させる名前です。(素戔嗚尊の頃はまだ後代のシャガラ龍王がいたので、一緒に来ていた可能性はあると思います。

 

昔はここでクナト王の子孫の才ノ神たちと落ち合って呑んでいたんじゃ~」、などと説明していた可能性はあると思います。

 

 あとは「連島(つらじま)」という、今は陸続きの島だった所がありますが、古名を「都羅(つら)」と書いていた事を宝島寺の「寂厳(じゃくごん)和尚」が書き残してくれていたと思います。(寂厳は書で有名なお坊さんです。)

 

 これなども「温羅(うら)」と同じで、龍王系の誰かの名前ではないかと思います。

 

 そしてもう一つ大事なことが、山の名前に「大仙山」とか「大山」とかの山名がある事が気になりました。

 

 岡山県鳥取県の境にある「大山(だいせん)」のネーミングはやっぱりシャガラ龍王によるものだろうという事です、神奈川県大山は「おおやま」ですが、岡山県のは「だいせん」と読み、そのネーミングの理由がよく分からないものの一つなんです。

 

 近くには「那岐山(なぎさん)」と地名にも「那岐町(なぎちょう)」があり、昔から伊邪那岐と関係あるんじゃないかと言われていますが、私の調べた所では「イサナギ」は「サンスクリット語イサナ支配者の男」という意味で正しいと思います。

 

 では那岐(ナギ)とは? となりますが、龍・蛇()=ナーガと呼び、龍・蛇()=ナーギニーナギと呼ぶので、龍王の娘(龍女)の事だろうと思います。

 

 地名の由来がどこにあるか分かっていると、このように説得力のある仮説がホイホイと出てきます、私はブログで情報を発信していますが、何人の岡山県人が読んでくれているのか? 

 

 閲覧数から考えると1~2人はいると思いますので、是非知ってもらって研究に役立てて貰いたいですね。

 

 今回、気づいたのは以上の事でしたが、地名にもう少し注目するともっと分かる事があるかも知れません!(今回は山名に絞って作業していて、見つけた気になる地名もピックアップしているだけなので、重要な地名が落ちている可能性はあると思います。)

 

 岡山県とは歴史的に何も無いどころじゃないですね、弥生時代の文化の発祥地といって良い情報が盛りだくさんです。(いわゆる弥生人とはクナト王、龍王達、徐市・国常立尊たちの大きく3グループの渡来人だと思います。)

 

 そしてサンスクリット語とともに、○○大権現の名前、○○には個人のモチーフとなるものを名乗り、「北極星」を信仰していた人が「妙見(みょうけん)菩薩」となった事や、「ワニ」をモチーフに使ったのが「金比羅(クンビーラ)大権現」になり、豊玉姫なども出産時に「八尋のワニ」になったというのは「本姓(性)がクンビーラ(金比羅の末裔)」と伝えている可能性にも気づきました。(だから「」または「屋号」の様なものなんだと思います。もしくは部族名とか)

 

 だから和邇氏クンビーラの血筋である事を言っているのかも知れません、和邇氏とは世襲足媛が復活させた先祖の「名乗り」だったりして...。(世襲足媛の母親は日置氏だと思いますが、日置氏の先祖はクンビーラだったり?)

 

 気づきが拡がりすぎて作業が追いつきませんが、岡山県で良かったです、いつでもすぐにいけるのでね...(笑)(^_^)v

 

 龍海