この前テレビを見ていて、香川県にある有名な神社で西日本の人々にとってはおなじみの、「金比羅(コンピラ)さん」の名前が「金毘羅(クンビーラ:サンスクリット語)=ワニ」に由来する事が紹介されていました。

 

 この事自体は私も知っていたので、新しい発見では無かったのですが、「そういえば、クンビーラはサンスクリット語だな!?」という気づきがあり、もしかしてインドから来た龍王と関係あるんじゃないの? と思いつき、その配置を調べてみました。

 

 

 勘は見事に当たり、竜王山のすぐ北の山が金比羅神社のある山でした。

 

 私の仮説では、日本へと渡来してきた最初の「龍王」がいて、その後継者達が「竜王」の称号を使い、その後は称号の龍王は使いながらも、支配地を示す山の名前には個人の称号を使っていたと推測しています。

 

 サクラウチが「タニ」、息子のカグツミが「大山」と、名のりに山や地名をつけている所をみると紀元前219~紀元0年頃までは山の名前が支配者に由来するところも多かったと考えられます。

 

 ということは、金比羅神社のある山は現在「琴平山」とされていますが、元々は「金毘羅(クンビーラ)山」であり、竜王の息子、金毘羅(クンビーラ)が支配していた名残を示していると思います。

 

 クンビーラワニという意味なので、ワニという名前が個人名かといえば「YESでもあり、NOでもある」という答えになりますが、櫛甕魂命の斎名(いつきな)は「ワニヒコ」ですし、和邇氏の開祖、春日のチチハヤも「和邇(わに)日子押人命」という通称なので、勇猛な人のあだ名のような感じで「ワニ」を名前に使っていたとわかります。(つまりあだ名のようなもので、本当の名は別にある。)

 

 ですので、金比羅で最初に祀られていた「金比羅大権現」とは竜王の息子なんだと言えると思います。(金比羅神社の祭神は、明治時代にあった神仏分離をしてからは、大物主が主祭神となっています。)

 

 金比羅(クンビーラ、宮毘羅大将)は十二神将の一人なので、薬師如来の守護者としてあった事が仏教の伝承から分かってしまいます。

↑ 宮毘羅大将像

 仏教なんか宗教だからと思っていましたが、十二神将の一人、クンビーラ香川県で生まれていて、金比羅さんに祀られていたと知ると奇妙な気分になりますね。

 

 ここでハタっと気づきます、香川県金比羅岡山県瑜伽山は「両参り」といいまして、二つを合わせてお参りすると良いとされていましたので、金比羅瑜伽山の間には沢山の往来があったことを今でも伝えています。

 

 ということは、.....

 やっぱり瑜伽山のすぐ北の山が「龍王山」でした!

 

 瑜伽は現在、「ゆが」と読みますが、昔は「ゆうが」と読んだようです。

 

 瑜伽もサンスクリット語では?と調べると、「瑜伽=ヨーガ」の事なんだとアッサリ出てきます。

 

 瑜伽山の龍王の息子は「ヨガ」を推奨した人間だとこの情報は物語っています。

 

 仏教の中に「ヨーガチャーラ派」という派閥があり、瞑想をして悟りを開く実践法を推奨していたのが児島の龍王の息子の「瑜伽」だった可能性が出てきました。

 

 インド由来と思っていたら、原型は日本から生まれていたなんて、ヨガをしている誰もが知らない事実なんでしょうね~。

 

 繰り返すまでもなく、龍王たちは仏教の守護者です、日本の伝来した初期仏教は神社として修行の場になっていったと考えられます。

 

 つまり宗教の場としては紀元前2世紀から瑜伽山も金比羅もあった事が分かります、そしてそこへは仏道修行として、山野を駆け巡る修験道の金比羅、瞑想して悟りを開く瑜伽山と、2大流派が海を隔てて存在したので、セットでお参りすると御利益があるとされた事も分かりやすくなりますね。

 

 龍王の存在はこのように古代史を明らかにする上で必須の知識になるようです。

 

 当然、多くのサンスクリット語に由来するものがあるとはおもいますが、それらの多くは紀元前の龍王達によって名付けられたと分かるとロマンじゃないですか、我々の生活とも密接な関係にある龍王についてもっと詳しく知りたいですね。(お前が調べて教えてくれってツッコまれそうですが....)


 あとはもう一つ大事な気付きがあります、それは修験道とは「初期仏教」の事だということと、「○○大権現」として祀られている人物達は龍王の息子達だろうという事です。


 熊野神社は修験道の総本山のような扱いてすが、熊野大権現という人物がいたのだと思います。(熊野大神は瀬織津姫の事だと思っています。熊野○○という表現において、同じ人物ではなく、表現の違いは別々の人物を表現している可能性があります。)


 これを現代に残っている情報に適用すると、あだ名とはいえ、紀元前の龍王系の人物名が分かる事になりますので、紀元前219〜紀元0年頃の人物だと言えると思います。

 

 龍海