日本人を考える上では必須の項目になる「二項融合・二項対立」という言葉ですが、二項○○という単語は論理学用語として生まれた単語ですので、縄文人のあり方を伝えるにはそぐわないのですが、結局のところ二項融合・二項対立=陰陽思想であり、古代の概念のアメナルミチと源流としては同じなんだろうと思います。
二項対立と書くと、実態とそぐわない(対立しているだけに思える)と思いますので、ここでは敢えて二項融合という単語も添えています、理由としては部族を2つに分け競わせていた事には同意するのですが、2つのグループの勝った方のいうことをきくのではなく、双方の意見を融合させた結論を多く採用していたと考えられるからです。
この様なマークでシンボライズされる陰陽思想ですから、二項融合の方が実際には正しいと言えると思うのですが、考古学の世界では何故に「二項対立」という言葉を用いるのか不思議な事です。(対立していた事を強調しているように思えます。)
それはさておき、この陰陽思想がいつから、どの様な形で私たちの前に現れているのか確認を含めてご紹介したいと思います。
①縄文モデル村の住居が大きく二群に分けられていた事や、東海や中国地方で普及した抜歯の風習では抜く歯の位置で二グループ分けられる事が分かっている事や、北海道や中部地方からは二個一組となった土器が出土している。
出典:『縄文の力』
→縄文時代には概念が既にある
②メソポタミアの円筒印章から「牡牛神と蛇神」(これはトルコ由来の牡牛神へオアンネス系の海の民から嫁いだ内容を伝えると考えます。)
→メソポタミア文明が興る時に陰陽思想が既に反映されている
③メソポタミアの太陽神ウトゥと月神ナンナル、大気神エンリル
メソポタミアの太陽神は怪物オアンネスが大洋を渡る事が出来るのは「太陽だけだ」とされる事をした事により「太陽神」と祀られた事に始まりますが、双子の妹が月神ナンナルとなります。(太陽と月の二項、陰陽思想。)
「太陽と月」、「天と地」、そして天と地を繋ぐ「大気」があり、陰陽思想から発展して中間思想または陰陽の融合思想といえる存在が生まれています。
④インドのリグ・ヴェーダにある「日・月」の貴族支配。(シャカ族とナーガ族のいたネパールの国旗は太陽と月の両方をデザインしています。星はメソポタミアの星辰信仰の影響があると思います。)