天石門別八倉比売神社には「大日孁命」が祀られていて、それが瀬織津姫の事だとご紹介をいたしましたが、八倉姫という名前との関係は分かっていませんでした。

 

 「天石戸別」という称号が気になり調べたところ、「天手力男命」の事だと理解しましたので、私の解釈を披露したいと思います。

 

 この神社は元々、「気延山(きのべやま)」の山頂にあったものが移されたと伝承されています。

 

 

 現在の鎮座地は「杉尾山」らしく、また古墳も前方後円墳で古墳の主は崇神天皇以降の人物だと思われます。

 

 これらを合理的に解釈するとこうなります。

 

 瀬織津姫は「大日孁女命」として「気延山山頂」に葬られた、勿論、アマテルと同様に「」に最初は安置されたと思います。

 

 そして天石門別天手力男命)の娘、八倉姫が今の天石門別八倉比売神社の地で「祭祀を司る」社を建てて住んでいたが、死んだ後に「天石門別八倉比売神社」となった。

 

 瀬織津姫八倉姫の関係はというと、

 上図の通り、姪っ子になります。(二人共に一世紀の人物だと思います。←私の年号解読から。)

 

 「天石門別」とはタチカラヲの家についた「屋号」と考えられ、八倉姫も屋号を継承したと考えられます。

 

 俗な表現をすれば、仲の良かった叔母さんの瀬織津姫が亡くなり、鎮魂の為、姪の八倉姫が巫女に選ばれ、杉尾山に住んで祭祀を行っていましたが、八倉姫もこの地で死んだと思われ、八倉姫の社は天石門別八倉比売神社としてあったのだと思います。

 

 崇神天皇の代となった後(前方後円墳が墓の様式になった)に阿波の忌部氏の古墳(前方後円墳)が杉尾山に築かれます、その時に神社は今の八倉姫神社へと移されたと考えます。



 江戸時代になって山頂の神社を移す時に、八倉姫の遺骨か何かと「つるぎ石」を見つけて「石積みの五稜郭」を作り八倉姫の供養塚にしたと考えます。


 八倉姫と大日靈女命の関係が分からず、古伝承からこの地には天石門別八倉比売神社があったと知れたので、神社を再建した時に、神社名はそのままに「祭神を大日霊女命」として再建されたと考えます。(その時には八倉姫の名前と大日霊女命との関係が分からなくなっていたので、とりあえず名称を残した感じでしょうか。)

 


 ↑ たぶん八倉姫の供養塚

 神社名と祭神名の大日靈女命阿波忌部の古墳と全てバラバラで、本物の墓は山頂だと考えます。(イサナミの墓も山頂でしたので、山頂以外にはあり得ないと思います。素戔嗚尊の墓とおぼしき所も山頂です。)

 

 という訳で、お墓参りをするにあたり、場違いな所を訪問しても「笑われるだけなので」、前もって調べると上記のような結論になりました。

 

 またまた、引きこもりの中年にはきつい山頂への登山となりますが、行かないわけにはいかないでしょうね~。

 

 瀬織津姫の子孫として皇祖神の墓参りをしたいと思います。(合掌🙏)

 

 龍海