今日は前にバビロニアの創世神話に出てきた「上下双頭人脚魚の姿をした怪物オアンネス」について考察を加えたいと思います。

 ↑ 1531年に捕獲された半魚人

 

 私も子供の頃は、こういう幻獣的な生き物が好きで、よく図鑑を眺めていましたが、「いいおっさんになった今でも」、眺めて喜んでいる姿は「同じだぁ~」と、我ながら思う今日このごろです。

 

 しかし子供の頃は「不思議の魅力」に取り憑かれたように読んでいましたが、おっさんになったなら、おっさんの見方をしなければ!と,不思議のままにしてはならないと思うのです。

 

 おさらいで、『古代メソポタミアの神話と儀礼』からオアンネスの記述を引用すると、「原初(「最初の年」)、上下双頭人脚魚の姿をした怪物オアンネスが海から現れ、人間に、読み書き計算から建築、法、農耕と、あらゆる文化的営為を教えたのであった。それは、闇と水がおおう世界であったが、その後、同様の怪物が現れ、有翼男女双頭の人間、羊脚有角人間、下半馬姿の人間、下半牛姿の人間・・・・」とあります。

 

 

↑ シュメール時代のレリーフ

 

 オアンネスはマリ共和国のドゴン族にも伝わり、解釈によってはロバート・テンプルの著書『知の起源』の副題の通り、「文明はシリウスから来た」となるのですから、歴史解釈は「人それぞれ違うなぁ~」という感想を持ってしまいます。

 

 上のレリーフを見ると分かりますが、明らかに「魚の着ぐるみ着た人間」だと思います、では何故魚?となりますが、海人族であり素潜りの漁労を営む民族の王ならば、あり得るモチーフだと思います。(魏志倭人伝にも素潜りで獲っている事が書いてあります。世界的には珍しいのかな?)

 

 例えばメソポタミアを開いた「牡牛神」は「野牛(牡牛)」をモチーフにしていました、これはトルコ辺りでは野牛が、強さの象徴だったと思われる為で、それを表すものが、チャタル・フユックの遺跡で見つかった壁画です。

 この壁画は礼拝室から見つかったというのですから、野牛を「神聖視」していた事がわかります。

 

 私の仮説ではトルコギョベクリペテ遺跡にいた日本人がメソポタミアを開いて、最初の王が「牡牛神」だと思っていますので、トルコで神聖視されていた野牛(牡牛)の様な「強い王」としてメソポタミアに君臨したと考えます。

 

 

 怪物オアンネスも同じだと考えます、WEBムーで紹介されている伝承では「太陽が沈むと、このオアンネスなる存在は海に戻り、海中で夜を過した。彼は水陸両生だったのである」とありますから、この表現の時は海の向こうに本拠地があったのだと分かります。

 

 恐らく、メソポタミアにいた人達は「漁労」はあまりしない、「狩猟民族」だったので、海の民と初めて遭遇したのでしょう、ましてや「魚の着ぐるみ(鎧の一種か?)」を着ていては「魚が海(海中)へと帰る」と勘違いしても仕方ない時代だったといえます。(本当は船で沖合の島へと戻ったとしていても…)

 

 では何故、魚の着ぐるみを着ていたのか? そういえば、アイヌなどは鮭の皮をなめして服にする話を聞いた気がするので、魚の皮の服を調べてみると、「魚皮衣(ぎょひい)」という項目で情報が管理されていて、シベリアの下流域の部族が魚皮衣を着ている事が書かれていて、アイヌの事も書いてありました。

 

↑ アメリカの魚皮衣(近代風ですね)

 

 私のブログを読まれている方なら、もう既にピンっ!と来ている事でしょう、日本人とはシベリアアムール川周辺にいた「キルギス人」の一部が川を下り樺太を横断し北海道へと入ってきたと推測しています。

 

 状況的には日本へと来たキルギス人は「魚皮衣」を基本的に纏っていたのだと推測できます、メソポタミアへと海路で渡った日本人の王は「海人族」であったので、装飾的に「魚の着ぐるみ」のような魚皮衣を着ていたと推測できます。

 

 そしてこのオアンネスメソポタミアへと土着して「太陽神ウトゥ」になったと考えられます。

 

 中国でも、インドでもなく、何故メソポタミアなのか? 私は最初から一貫して、ギョベクリペテ遺跡にいた日本人が、日本と定期的に連絡をとっていた為だと思っています。

 

 古代に大陸へ進出した同族が「開発に適した土地を見つけた」ならば、日本の本体から人員を派遣して「開発しよう!」となっていても不思議ではないと考えます。

 

 でも時間軸から考えれば、

1.13000年前に日本から大陸へ進出、北海道→北海道→アムール川を遡上→キルギス→トルコ→ギョベクリペテ遺跡

2.9500年前、メソポタミアを開く(牡牛神)

3.7500年前、怪物オアンネス(太陽神ウトゥ)、シッパルへ土着

4.4000年前、ノアの洪水・ギルガメッシュ

 

 このように13000~4000年前と9000年ものスパンがある事が分かります、しかしその間の出来事は僅かしか記録されていないということは、「大きな変化がある事はめったに無い」事を示してして、しかもノア中国へと移住していますから、現代人が思っているよりも、超古代の人々は大陸を移動していたと考えます。


 ここで我々の思い込みを払拭する必要があります、超古代は国という境目がないので、部族ごとの衝突はなく助けあっていたのでしょう、そして陸路、日本からメソポタミアまで移動することも珍しい事ではなかったと考えるべきなのだと思います。


 だって日本からアメリカまで二万年前に移住してネイティブアメリカンになっている可能性もあるからです。(これの真偽は分かりませんが本で示唆されており、可能性は十分あると思います。ドラヴィダ系日本人ですけど。)

 

 特にシルクロードとは最初はメソポタミア・エジプトの日本人と中国の日本人とが交易のために生まれた道だと考えられ、これまでのイメージが壊れかねないものになります。(超古代のシルクロードですね。)

 

 少なくともノアの頃は伏義と女媧の絵の通り、魚→蛇(龍)へとモチーフが変わっていた事が分かります、しかし民族衣装としての「魚皮衣」は変わっておらず、狩猟民族からは奇異に映ったことが想像できます。

 

 ということで、怪物オアンネスとは「ファーストコンタクト時の日本人の印象」であり、後の「太陽神ウトゥ」の事で、魚皮衣で出来た魚の着ぐるみを着た「ご先祖様」であるとしたいと思います。(笑)

 

 龍海