いきなり画像ですみません、これは小野川町が作っている「小野川小町」というキャラクターになります。

 小野川温泉には「小野小町伝説」があり、その為に小野小町のゆかりの地として地域おこしをされているのだと思います。

 


 上の私のブログでも言及している通り、山形県には多くの小野小町伝承が存在しています、しかしその伝承を残した小野小町は実は三人いますので、話がややこしい事になっているのです。

①小野良実の長女で六代目の小野小町(小野氏野)
 ○落裳観音の伝承
 ○法衣の小町の行脚
②小野良実の次女で七代目の小野小町
 ○小野家縁の森谷家
 ○小野小町の生誕伝承(小野川町以外)
 ※後に秋田県から小野小町として出た
③小野良実の子孫の血筋、小野川の小野小町
 ○小野川で生まれた小野小町
 ○10世紀の初めの頃の人物
 ※小野道風の妻になっている可能性が高い

 今日は小野川町小野小町について詳しく語ろうと思います。

 小野小町とは地神大王家(小野氏)からの采女氏女になりますが、ただの娘に非ず、美人で聡明で和歌の上手なだけではなく、「全員、巫女的能力を有していた」可能性が高いと思っています。

 これは神からの神託を天皇へ伝える必要から後宮へと上げていたと考えられ、小野小町の名前は「初代小町から流行していたから」と理由なので、他の名前を名乗る事も出来たと思いますが、最早「一流ブランド」になっていた小野小町の名ですから、「名乗りたい名前、NO.1」となっていた名前を名乗らない訳がありませんよね!(笑)

 後宮に上がる采女は「中央貴族の嫁」になる事が理想の進路なのですが、小野小町だけは別格でした、小野一族の宝なので他の氏族に獲られぬよう、小野氏長者の近親者の嫁に、みな行っている様子があります。(だから他氏は小野氏に頼んでも小野小町を嫁に貰えないので、直接、小野小町へと贈答歌を送り、小野小町を息子達に惚れさせて、嫁にとろうと画策していた結果が残されている贈答歌なのかも知れません。)

 例外は14人中、3人で二代目の小野小町である小野石子(石子は初代小町の子ではない可能性が高く、巫女的能力も無かった可能性が高いイレギュラーな存在と言えます。政治的なつなぎで氏女として後宮へ上がったと思います。)と、関寺小町として有名な大江惟章に嫁いだ小野小町(祖父が菅原道真だった為、同族の大江惟章との婚姻になったと思います。)、そして六代目の小野小町小野氏野(基蔭親王→橘)だけだと思います。

 つまり小野川町に生まれた小野小町も小野氏長者の近親者へと嫁いだと考えられる事から、「小野道風へと嫁いだ」可能性が高いと思うのです。

 道風の兄の小野好古には9世紀の最末期に埼玉から出た小野小町が嫁いで、子供が讃岐の好古小野家を興していると状況から判断していますので、その後の小野小町と思われる小野川小町小野道風が最有力候補となるのです。

 その後の小野小町小野好古の孫へと嫁いでいるようですから、十中八九、小野道風へと嫁いでいるとみて良いと思います。

 根拠はもう一つあり、小野川小町福島県喜多方市で亡くなった小野小町だと推測しています。

 この小野小町は街道から外れ、小野川町の南に向かって足跡が残されていました、これは街道から山形県へと入らない、地元民しか知らない山道を越えようとしていたと考えられますが、途中で知り合いに会い、知り合いの家へ逗留しているときに亡くなったので、遺骨は小野川町へと葬られた可能性は高いと思います。

 さて、この喜多方市小野小町の伝承では、京都の小野の屋敷で暮らしていた時の知り合いと伝承されています。

 京都の町で暮らしていたなら、嫁に行った後(後宮を出た後、采女の間は采女町に住み込む為)の時になり、その時代の中央貴族で一番出世していたのは小野道風小野好古の方が出世が遅かったので…)になりますので、朝廷から貰った屋敷に住んでいたと推測されるからです。

 勿論、故郷へ帰ろうとしていた小野小町は一人では無かったと思いますので、小野川町の親類へは連絡が行き、小野川町にて葬送されたと考える訳です。

 間接的情報からでも、これだけの事が分かるのです、今は地域おこしとして小野川小町は有名かも知れませんが、今後は「伝説ではなく、本物の小野小町」が小野川町に生まれ、温泉に親しんで暮らしていたイメージが付加され、小野道風へと嫁ぎ、老齢になるまで幸せに過ごし、故郷へと後一歩の所で病に倒れた事が、実話だと認識されたなら、小野川温泉の情緒は一層味わい深いものになるのではないでしょうか?

 今回、福島県、秋田県、山形県と小野小町について言及していますが、どの県も複数の小野小町が関係している事に気付けていますでしょうか?

 これが結構重要な要素で、人格の違う小野小町の痕跡があるせいで、実は伝承同士が関連性を帯びず、一人の事跡と考えた時に違和感を残しているのです。

 答えが分かった後では、「それでか〜」と、納得出来るのですが、小野小町の研究が進まなかった要因の一つになっていると思います。

 歴史研究をされる方にはとても参考になる事例だと思います、謎が解けていないケースは同様のものが多いので、参考にしてほしいと思います。

 龍海