秋田県とは小野小町が生まれた県として一番有名です、そして本当は秋田県からは二人の小野小町が出ていますが、実は二人共、秋田県では産まれていないという奇妙な共通性については全く知られていません。


 今日はそんな秋田県小野小町について言及したいと思います。


 前にも書いた通り、秋田県小野小町について錦仁氏の著書、『浮遊する小野小町』では「否定的な研究成果」が書かれていて、ガッカリされている人も多いのではないかと思います。



 私も倉敷市の文化財保護課の課長に「倉敷市の小野小町」について、実在性と証拠となる「小野小町像」の保護を訴えた時に、課長からは「情報の少ない倉敷の小野小町が本物な訳がない、秋田県の様に情報が多い所が本物だ」と言われ、失礼な対応をされた事がありました。


 この様に「ものを知らない人が責任者」としてある場合には、おうおうにして「判断を間違える」ことがあるのが、世の習いなんでしょうが、私は市の職員で課長職にもなっている人間が「人の話も聞かず、独断的に市の利益を損している」事に、なさけなく腹がたちました。(倉敷市小野小町の伝承が本物であるとした時の市民の利益が大きい事は誰でも分かる話だと思います)


 倉敷市にある「小野小町像」などは、将来的には「国宝」になる可能性もあると思っています、小野小町ゆかりの最古のものは、山口県にある小野小町の鏡塚にある初代小野小町銅鏡ですが、芸術的なもので、年代測定できるものは、倉敷市小野小町像であり、作者も恵心僧都と京都に伝承されていますので、世間に認知されれば可能性は高いと思います。


 こんな事例のある通り、秋田県の知名度は抜群のものとなっています、ではどうして秋田県の知名度が高いのか?


 秋田県は戦国時代から小野寺氏の支配にありましたが、この小野寺氏は「小野篁の子孫」であると強く意識しており、自分の領地に小野小町の伝承があった為、藩主が自ら命令して調べさせた事がメジャーになった原因のようです。


 この小野寺氏ですが、本姓は藤原氏となっていますが、私の研究でも「小野田」とか「小野寺」という姓は「小野の田」、「小野の寺」に由来する名字の様なので、小野寺氏は本姓藤原氏ではありますが、小野氏の血筋が入っていて、小野篁の事を尊敬していたんだと思います。(たぶん小野寺を継承する時に小野の娘を貰い小野寺を名乗ったと考えられます。)


 さて、次はどうして錦氏は本の中で否定するような内容になったのか?


 本には地元の方達から、聞いている伝承を調べて欲しいと依頼されたそうです、私も内容を読んで錦氏と同じ感想を持ちました、それは「物語」が生まれたという結論です。


 例えば「母親が大町であったので、名前が小町になった」など、私の研究成果からしても間違いであるといえます。


 また洞窟で亡くなったなど、地神大王家の小野氏の中でも特別な存在だった小野小町が小野氏の多くいた秋田県でその様な最後を迎えるハズもなく、多くが「物語」として後から作られたものと研究成果を述べたものになります。


 しかし錦氏は小野小町伝承そのものを否定している訳ではなく、具体的に伝わる内容が物語だと分析しており、伝承そのものについては判断をしておられません。


 私とは目的と研究方法が全く違うので、結論が違ってくるのですが、私はまずご先祖の小野吉子を起点として研究をスタートしました、だから世に有名な小野良実の事は2番目に特定し、良実の娘が熊本県に生まれ、岡山県にも一時期いて、その後に福島県へと移住、そして出羽郡司となる前に鎮狄将軍のような立場で秋田県山形県の反乱軍を鎮圧、そして制圧寸前に死亡、子の小野良房がその後を請けて鎮圧、そして死後に出羽郡司を追贈されたと考えます。


 小野良実鎮狄将軍として出羽へ入る時に妻の愛子(めずらこ)を失っていると思います、その寂しさからか、山形県で妻を持ち生まれた子が秋田県から出た小野良実の次女の小野小町になります。


 小野良実の拠点が移る場所に点々と小野小町の生誕伝承が重なっており、幼い子供を連れて進軍している様子が残されています。


 そして秋田県雄勝町で亡くなった為、その後成人した次女は、姉の小野氏野小野小町であった事もあり、姉妹ともに続けて小野小町となったと思います。


 そしてその後に、冗談の様な話ですが、小野の養女(滋賀県彦根市の生まれ)が小野良実の次女の小野小町の次の小野小町として後宮へあがったと考えています。


 だから房住山に残る小野小町の伝承は美実の養女の話になります、その様子からしても、小野小町として上がった後は、すぐに秋田県へと帰らせて、美実の息子か孫と結婚させたのだと思います。


 だから下岩川小町の周辺におられる小野さんは小野美実小野小町の子孫である可能性が高いと思われます。


 この様に秋田県から出た小野小町は二人共、産まれた所が秋田県ではなく、他県になりますが、小野小町として出たのは秋田県という、面白い状況になっています。



 そしてドチラの父親も小野良実小野美実と読み方が一緒だった可能性があり、ただでさえややこしい小野小町の伝承をさらに複雑にしてくれています。(だから世間の伝承でも、小野よし実の娘の小野小町✕3が有名になったと考えられます。)


 しかし、秋田県からは二人もの小野小町が出ていると考えられる事から、看板には偽りが無く、秋田県の人々は小野小町に誇りを持って語って頂いても問題無いと思います。


 できれば、正確に認識していただいて、伝承と正確な部分とを分けて伝えていって頂ければ私としても嬉しく思います。


 龍海