私は正規に歴史研究を学んだ人間ではないので、今日書く内容は全て私見となります。


 最近、元となる資料が存在していれば、それは仮説として扱えるかの様なコメントを多く頂いています、しかしそうとは言えないという事もあり、そのあたりも整理した方が良さそうだと思いますので、敢えてブログにしてみます。


 事の発端は、私がたしか小学生の頃の宿題でした、「自分の名字を調べてみよう」というのがあり、調べた結果は「小野とは小さい野原からきている名前」とあり、「ガ〜〜ン!」となった事を今でも覚えています。


 また同じ様に「家紋についても調べてみよう」という宿題の時には、父親にきくと「うちは五三桐だ、結構いい家紋なんだぞ」と聞かされましたが、自分で調べると「一般的で割とありふれた家紋」と書かれていて、その時に私が思ったのは、我が家は「普通なんだ〜」と思っていたのですから「大笑い」です。(笑)


 私も最初は「歴史研究は趣味」だったので、ただの歴史好きとしてブログを上げていましたが、そうしているうちに、自分で研究して気づいた一番大事な事は「歴史って何も分かって無いんだ」という感想でした。


 教科書では色々な事を教えていますが、そこでも「表面的な事柄」のみを教えており、意味だとか背景だとか人と人との関係性など入る余地は無く、ひたすら暗記すべきものとして教えられて来た事に気付きました。


 私はタイプ的には完全に理系ですので、論理的な矛盾があれば「自分がイライラして気に入らない💢」ので、納得するまで調べまくると「従来の定説とは違った解釈になるのが普通」になってしまいました。


 自分が小野小町の子孫と分かってからは、「まず、本当に小野小町がいたのか?」からスタートし、倉敷市にいた可能性はどれぐらいあるのか、調べて行きました。


 幸いにも私には「少々の口伝」と子孫がいるなら子供を生んであるはずと仮説をたて、また「和歌の作者名に、小町うまご」という名も見える事から勇気を貰い、小野吉子が天皇妃として子供を産んだことで、正六位上に叙位された事を理由に仮説を証明するに至りました。


 私は自分が本当に小野小町の子孫であると強く意識したのは、この時だったと思います、自分の祖先が生まれた証拠を見つけた時に初めて小野小町の子孫だと認識したような気がします、ハッキリ言ってそれまでは半信半疑でした。(結構、疑り深いので。


 私のブログでも何度も書いた通り、「歴史研究とは知った者勝ち」なんです!、これはとても痛感しています、過去の研究において重要な事に気付けて本になっていても、全ての本を読める訳ではありまそんし、お金も続きませんよね。


 そして大事なのは「キラリと光る解釈」との出会いであり、それがある本とは時代にまたがってアチラコチラに点在しているという事実なんです。


 例えば柳田國男などは民俗学の権威ですが、彼の本は一冊を除き全て目を通しましたが、小野小町の研究に間接的には役立ちましたが、直接的といえるものはありませんでした。


 逆に聞いたことも無い名前の人の本に「決定的に重要な情報や解釈」が載ってたりします。


 そんな時は「お宝発見!」って気分です。♥


 そんな事は滅多にないだろう! って思うなかれ! 結構、どころか度々あるのですから、どれ程有力な研究成果が埋もれているんだろうと嘆きたくなる程です。


 骨董の世界には「捨て目をきかせる」という言葉があり、私も無意識に行っている事を自覚しています。


 これは「本命」を探しながらも、「本命以外」にも目を配るという意味なんですが、これが出来そうで中々できないんだと思います。(先入観は目を曇らせる。)


 私は先に骨董の世界で、「偽物と本物」、「偽物の成立パターン」、「本物だけど別の物として認識され偽物になっているもの」など、あらゆるパターンがあることや、偽物になる経緯についても詳しくなりました。


 一言でいえば「目利き」になったから、歴史研究においても「目利き」になっているんだと思います。


 他の人ならば注目すべき点を「スルー」してみたり、他の人ならば気にもしない所に引っかかって「重要な発見をしたり」、私と他の人との違いの主たる部分はこの点にあると思っています。


 たぶん骨董の目利きの人に歴史の話をしても、重要な点に食いつくのは一緒だと思います、何故なら「その作業に慣れている」からです。(骨董って、数万〜数十万の数の中から自分の予算に入る、良い物を見つける作業でもあります。慣れると見た瞬間良いものかどうか分かる様になります。)


 そうして、小野とは小さい野原に非ず、相模の小野が瀬織津姫の領地となった為、「小野の〇〇」と名乗った事が名字となり、全国にある小野の地名も小野氏の荘園に由来すると断言出来るまで調べました。(分かった時には、辞書はウソを書いていると怒った💢ものです。後で理由もわかりましたが、名字に対して鬼のように調べた人がいて、その人でも分からなかったのだからと定説になっているようです。)


 そうしていると論理的な矛盾が増えていきます。


 それだけ全国に拡がった小野氏とは普通じゃないハズなのに、「何で何も残ってないの?」ってなる訳です。


 その視点で情報を分析していくと、あるわ、あるわ、小野の事として書いてないだけで、暗号解読の様に色々な事が分かったんです。


 私は自分が「論理的思考」により、色んな事で有益だった事から、私の子ども達には小さな頃から論理的思考を心掛けろ!と、教えてきましたが、これはどうやら「先天性のモノ」らしく、一定レベルまでは可能でも、あるレベルを超えると出来ないようだと理解しました。


 それから情報源などが、例えば「私が小野小町の子孫だから正しい」と思っちゃダメですよ、私自身、自分が聞いた事を信用しておらず、調べまくって、最終的には真実らしい!という結論にはなりましたが、直系の子孫の伝承といえど、伝言ゲームといっしょで「変質」や「改変」、「付加」されている事は「普通」なんです。


 これは経験則から来るもので、自分で研究していなければ分からない概念なのかも知れません。(大量の伝承に正面から取り組むと、上記のような一定の法則は見えてきます。)


 日本人やイギリス人はオカルトやスピリチュアルな事を好む傾向にありますが、歴史情報をスピリチュアルな情報をベースとした場合、それは情報とは言えません、何故なら再現性が無い情報源になるからで、スピリチュアルな人が十人が十人とも同じ答を返せたら、一定の信頼は得られるかも知れませんが、それを検証した事例は聞いた事がありません。


 自分が信じるだけなら無害なのですが、他者に信じさせようとする行為は無害とは言えなくなります。


 本人は強く信じていても「論理的に矛盾」があれば、普通、人は容易に信じられないからです、だからスピリチュアルをベースにした他人の書き込みから引用されても「ハイそうですね」といえる研究者はいないと思います。


 それから私は少なくともコミュニケーションが取れない相手は対等に見ません、一方的に情報を送っておいて、返信も出来ない相手は、そもそもコミュニケーションがとれない人物だと認識します。(人間の良い所は考えが違ってもコミュニケーションがとれて、相互に理解が深める事ができる所にあります。)


 基本的に逃げ道を用意しておいて、都合が悪くなったら逃げる事を良しとしない為に、私は「歴史研究者」を名乗る様になりました。


 だからジャンルもその他の職業にしています。


 有名人の子孫だからといって「特別」な何かがある訳では無いという事は「一般論」としては多くの人に理解してもらえると思います。


 しかし私は自分で自分のした事を評価してみても、「う〜〜ん、普通の人だと言い張るのは最早ムリだね」って今では思っていますし、家族からは「大昔から普通じゃない」って言われていたりします。


 私はよく他の人に「真実を語る言葉には説得力がある」事を伝えています、ブログも一緒だと思っています。


 私の綴る文字が真実を語っているなら、それは説得力を持ち、読んでくれる人が増えるだろうと「タカを括って」いますが、順調に読まれる件数は増えているようです。


 相変わらず「イイネ!」が少ないのが私のブログの特徴だろうと思います(読まれた件数と比例しない、全く関係の無い数字に終始しています。後は何故かスピリチュアル系の人からのイイネ!が多い事が特徴ですかね、(笑))


 ともあれ、大まかな解釈は終わっていますが、勿論、数千年のスパンにおける解釈なので歯抜けもイイとこです。


 最初の本を書くには十分なのですが、自分に疑問が残っていると無意識に調べたくなるので、完成までにはもうチョット掛かりますかね?(笑)


 龍海