世界で初めて「文字」が発明されたのは「メソポタミア」だと答える人は多くあると思いますが、今日は「世界で初めて文字を発明したのは日本人か?」について言及していきたいと思います。

 

 バビロニアメソポタミアの都市の一つ)の創世神話には次の様に書かれているそうです、月本昭男氏の『古代メソポタミアの神話と儀礼』から抜き出してみましょう。

 

 「原初(「最初の年」)、上下双頭人脚魚の姿をした怪物オアンネスが海から現れ、人間に、読み書き計算から建築、法、農耕と、あらゆる文化的営為を教えたのであった。それは、闇と水がおおう世界であったが、その後、同様の怪物が現れ、有翼男女双頭の人間、羊脚有角人間、下半馬姿の人間、下半牛姿の人間・・・・」と書いています。

 

 これはメソポタミアの話なのに、絵柄は中国に伝わっています。

 これは私のブログではお馴染みの「伏義と女媧」を描いたもので、メソポタミアの話を描いたものではありません。

 

 しかしバビロニアの伝承では最初の怪物オアンネス伏義と女媧を同一視して描写しています、これは最初のオアンネス伏義と女媧が「同一人物」又は「同一の姿をしていた」の二択になろうかと思います。

 

 考古学的にメソポタミアの文明は8000年前頃からとされています、かたや伏義と女媧は、伏義ユダヤ名「ノアに比定されていますので、4000年前頃と四千年もの差があります。

 

 ですから順当に考えて、メソポタミアに知恵をもたらした怪物オアンネス伏義と女媧と同じ姿をしていて、両者は民族的に風俗的にも同じ一族と考えるべきだと言えるでしょう。

 

 そしてこの一族がメソポタミアの文明化に寄与した「シュメル人」である事は否定する人はほぼいないと思います。

 

 創世記に出てくる「読み書き」という表現から、「文字」を最初に伝えたのも『怪物オアンネス」であり、その文字は考古学的に見つかっている「ウルク古拙文字」だと言えると思います。

 

 このウルク古拙文字が発展して楔形文字などに発展していますが、これは中国甲骨文字の元祖でもあり、中国の古代文字メソポタミアの古代文字とがルーツを同じくしているとする研究成果もあります。

 漢字象形文字から発展して生まれた事は漢字の文化圏にある日本人ならほとんどの人が知っている事だと思いますが、この象形文字メソポタミアに由来していると考える研究者も多い様です。(定説にまではなってないようです。)

 

↑ 日本の熊本県に残るウルク古拙文字

 

 川崎真治氏の『日本最古の文字と女神画像』にも中国メソポタミアの関連について深く言及されていますが、私の研究では「さもありなん!」というべき事が分かっています。

 

 日本の天皇家の祖となった徐市始皇帝不老不死の実を求めて日本へ行くと約束し出発しますが、その後は王になったと中国では伝えられています。

 

 それを裏付けるように、神皇記には徐市が日本に来て「高皇産霊神」と諡(おくりな)され、その後を徐市の五男の「国常立尊」が王となっています、これは日本の神話を辿ると出てくる神様の名前で「伊邪那岐伊邪那美」よりも前の神様として表現されています。

 

 神皇記では国常立尊徐市五男国狭槌尊徐市七男と具体的に書かれていて、人間の話として描写されています。

 

 つまり日本の神話神皇記とは繋がっている話である事から、徐市の先祖は日本の天皇家の先祖という話になります、この時点では徐市は中国人なので日本人とは「中国人」が祖なのかと思われる方も居られるかも知れませんが、話はそんなに簡単ではないのです。

 

 徐市の招来したと思われる『支那震旦国皇代暦記』には徐市の系図が載せられていますが、開祖の名前には「太昊伏義」とあり中国の「三皇五帝の時代」と呼ばれる古代の神様の名前が記されています。

 

 支那震旦国皇代暦記には「蓬莱山高天原天つ州から太昊伏義氏東陽婦人とともに、大陸の大中原に天下ってその地で炎帝神農氏を生みました。」と書かれています。

 

 これは伏羲東陽夫人は中国でいうところの「伏義と女媧」の事になります、つまり伏義と女媧日本から中国へと渡ったと書かれているのです。

 

 では本当なのでしょうか?

 

 これを繋ぐ鍵はユダヤ人ノアに隠されていました。

 

 炎帝神農氏の末裔に「猫(ミャオ)族」がありますが、ミャオ族には他にも伝承があり「蚩尤(しゆう)」の末裔であるとか、「ヤペテ」の末裔であるとか、そのせいか現在はキリスト教を信仰しているということも知りました。

 

 ヤペテとはノアの息子の名前であり、伏義には「洪水伝説」もあるそうです、これらの事を総合すると「伏義ノア」であり、「炎帝神農ヤペテ(ユダヤ名)=蚩尤(中国名、しゆう)」となり、まさにメソポタミアと結びつきます。

 

 メソポタミアではノア(ユダヤ名)の事をウトナピシュティムとも呼び、ギルガメッシュ叙事詩ではギルガメッシュ不老不死を求めて、父親ウトナピシュティムに遭いに東の果てへと旅立ち「若返りの草」を手に入れた話が載せられています。

 

 若返りの草の名前は「ビルガメシュ」といい、メソポタミアギルガメッシュが呼ばれた名前と同じになります。

 

 そして東の果てとは「生命の樹」があるとされる所で、中国では「生命の樹蓬莱樹」、そして蓬莱樹のある国を「蓬莱国」、すなわち「日本」だと伝えているのです。

 

 ギルガメッシュは私の研究からノアの息子の「ハム」だと比定出来ましたので、先の叙事詩で「ウトナピシュティムを父」と呼ぶ理由の裏付けを得られています。

 

 そして伏義女媧メソポタミアの文明をもたらした「怪物オアンネス」と同じ風俗であるということは、メソポタミアの文明を開いたのは「日本の縄文人だった」と証明できるのです。

 

 メソポタミアの日本人は世界から「シュメル人」と呼ばれている為、ピンっと来る人はいませんが、戦前の日本では「シュメル人は日本人である」という説が声高に叫ばれていました、これはシュメル人日本人との類似点のみをもって発言されていたため「定説」とはならず、「国威発揚のため」と多くの人から解釈されたのだと思います。

 

 ところがドッコイ!、文献を詳細に紐解いていくと、上記のようにシュメル人日本人だと言える証拠が残っているのです。

 

 そこで、今日の命題「世界で初めて文字を発明したのは日本人か?」の疑問について私は、「Yes!」と答えるのです。

 

 これは文字だけに限らず「世界の文明を最初に築いたのも日本人」となり、日本人が世界から特別視されている原因だと思います、世界の人々は無意識に日本人に対して興味を持ち、惹かれ、東の果ての国を「ジパング」と呼び、一種畏敬の念をもって接してくれているのだと思います。

 

 当の日本人がこのことを忘れており、これは小野小町が忘れられている事とも状況的に同じことのようで、先祖を研究のテーマとする私は、歴史研究者として、メソポタミアを開いたシュメル人メソポタミア文明インダス文明エジプト文明黄河文明を主導したのはご先祖の日本人であると宣言させていただきます。

 

 答が分かると、考古学的な解釈や歴史学的な解釈すべてが変わってきます、真の歴史を紐解く準備が出来たと思いますので、皆さんにももう一度歴史を見直して頂きたいと思います。

 

 龍海