ギルガメッシュ叙事詩には日本人の足跡が多く残されています。
私の世界観を改めて書くと、
①13000年前に北海道→樺太→アムール川→シベリア→キルギス→トルコ(ギョベクリ・テペ遺跡)へと入った日本人の冒険野郎がいる。
②①の冒険野郎は日本と連絡をとっている。
③トルコの冒険野郎の末裔、牡牛神ハルキ(ハルとも)がメソポタミアに移住、9500年前頃
④熊本からメソポタミアへの移住、太陽神ウトゥ。(小野小町の伝説にも登場する、善知鳥(うとう)という猟師の話があるが、もしかして関連してる?)
⑤7500年前、太陽神ウトゥが加わり、メソポタミア文明が興ってくる。(文明化の始まり)
⑥太陽神シャマシュ(ウトゥ)の嫁は「アヤ」、日本人っぽい名前。
⑦シュメル人は星辰信仰があり、船の運行に必要な、緯度・経度の概念、数学に長けていた
⑧マリで呼ばれた太陽神シャマシュと太陽神ウトゥとは同一人物
⑨4000年前に大洪水が起こりノア(伏義)が方舟を作り伝説を作る。(この時点で500年くらいの誤差有り。伏義は蓬莱山(富士山)から来たとの伝承を残している。)
⑩ノアの孫、ミツライムがイムホテプと思われ事、イムホテプの父はプタハ神、プタハ神=ギルガメッシュ、ギルガメッシュとは「ユダヤ名ハム」(ノアの息子)である。
⑪証拠に『ギルガメシュ叙事詩』「第九の書板 第3欄」には「わが父ウトナピシュティム」とギルガメッシュが言っている事が書かれており、ウトナピシュティム=ノアだと分かっているので、ギルガメッシュの父はノアだと分かる。
取り敢えず、これだけを理解してもらって、本題に入ります!
(ややこしくて、申し訳無いのですが、私がややこしくした訳では無いのでご勘弁を。)
m(_ _)m
ギルガメッシュは不老不死を求めてウトナピシュティム(ノア)に会いに「東の果て」(日本)へと赴く話があります。
ウトナピシュティムは生命を見たものたと表現されていて、不老不死の存在に触れているかの表現がつきまといます。
ここで重要な単語「不老不死」ですが、ウトナピシュティムとギルガメッシュに限って言えば「薬・精力剤」に該当する様なんですよね。(ギルガメッシュはビルガメシュとも呼ばれていましたが、その意味は「老いたる人が若返る」だそうです。)
なので、この頃に「生命の樹(不老不死)」と「医療(薬)」とが混濁されている事が分かります。(医療の延長に不老不死があると考えていたのは間違い無いと思います。不老不死の効果のある実をつけるのは「生命の樹」のみという解釈。)
これも大事なんですが、この時の話に「誰も渡った事の無い大洋を渡ったのは英雄シャマシュのみ」と出てきます。
「誰も渡った事の無い大洋」とはメソポタミアと東の果て(日本)の間にある「海」の事を表現していますが、これを別の見方をすると、「最初に海を渡って来たのは英雄シャマシュ」だよって伝えています。(大洋を渡る事が出来るのは「太陽」だけであったので、東の果てから大洋を渡って来た英雄シャマシュ(ウトゥ)は太陽神になった、と何処かで読んだ気がするのですが、何処で読んだか分からなくなっちゃいました。)
なので人としてあった頃の冒険野郎、「シャマシュ(ウトゥ)」がメソポタミアから見て東の果ての間にある大洋を渡って、日本の熊本から船にてメソポタミアへと行ったのだと証明していると分かります。(熊本の理由は熊襲・阿蘇(阿祖)・ペトログラフにあります。)
それと同時に「シャマシュ(ウトゥ)」の率いた人達が「海の民」でもあり、かつ「龍(蛇)」をモチーフに持つグループでもあると思います。(巨石を扱える牡牛神のグループと海の民のグループが合流した事になります。)