私のブログでは最早シリーズものになりつつある、マホロさんからの●~*ですが、毎回楽しく謎解きをさせて頂いています。


 今回は私の知らなかった「奈良県東吉野村」の「下小野榛原」に築かれたとされる「鳥見霊畤」の問題です。


 私のブログでも宇陀市桜井市の鳥見霊畤には訪れてあり、宇陀市から桜井市に移されたと解釈して終わっていました。


 この爆弾には重要な意味が秘められている様です、東吉野村の方は近くに高見明神があり、八咫烏の本拠地である印象があります。

 日本書紀の記述からすると、「鳥見霊畤」を築いた地を「上小野榛原下小野榛原」と名付けたとあります。

 解説は面倒なので、私の解釈をぶっちゃけますと、天神と地神の両王家は皇祖神を鳥見霊畤を築き祀る事にしましたが、「祭祀権」は素盞鳴尊から続く「地神」が保有しているので、それを小野が継承して、「素盞鳴尊瀬織津姫」を小野皇祖神として祭祀し、日御碕神社等彌神社として今に伝えていると思います。

 下小野榛原には天皇家の皇祖神として「アマテル」を祀ったのだと思いますが、霊畤の祭祀は小野がしたが、皇祖神しての継続しての祭祀は「大和大国魂神社」に移されたのだと思います。

 天神となった天皇家としても、瀬織津姫の末裔という意識の方が強かった為、アマテルはおざなりにしてたので、祟られたのかも知れません。

 大和大国魂は大和を開いた素盞鳴尊だとして間違いないと思いますので、アマテルとは喧嘩するでしょう!

 勿論、負けたアマテル伊勢神宮へと移されて、祟神として祀られたのかも知れません、また祟られるのが嫌なので、お目付け役として祖父の豊受大神を外宮に祀り、悪さしないように閉じ込めたと解釈できますね。

 等彌神社には瀬織津姫が祀られていたことはブログにも書いた通りです、伝承からしても瀬織津姫を上に置くのは当然かとも思いますので、下小野榛原で祀られたのは天皇家皇祖神である「アマテル」だとしたいと思います。

 「」という木は低木の広葉樹で、切り開かれた地に生えた木であり、小野榛原とは霊畤が行われた後に呼ばれ始めたものだと考えられます。

 小野家の家紋は五三の桐である事を私も繰り返しお伝えしていますが、神社庁のマークは五三の桐であり、祭祀権を持っていた一族なんだろうなとは、昔から思っていました。

 その意味が、素盞鳴尊に始まる祭祀権を出雲王朝から小野が受け継ぎ、卑弥呼の時に体系化されて全国に拡がり、律令制となった時に大和王権へと受け継がれ、神社庁へと受け継がれたのだと分かると感慨深いものがあります。

 龍海