↑ これも生命の樹の神話かなぁ?

 自分で超古代や古代の人物について触れていると気づけますが、普通の人はそんな事に触れる機会など無いと思います。


 特に文様の解釈や、単語の意味など確定的に書いていても調べると、「違うじゃないかぁ〜」って事は多々あります。


 理由は簡単で「正解が存在しない」為、誰かが間違っていても、断定しないと前に進めないのです。(議論が始まらない!?)


 ギョベクリ・テペ遺跡の柱についても「生命の樹」とする解釈は存在しない(私が初?)、もしくは表へ出ていないのだと思います。


 しかしエジプトジェド柱ギョベクリ・テペ遺跡の柱は「共通点しかない」ので、多くの賛同を得られるとは思います。(いわゆるマンマじゃないかというヤツですね。)


 その中で古代史に出てくる名前について、地域によって全然違う事が多くあります、特にノアについては前にも書いた通り、記録された先で全部違う名前で書いています。


聖書にあるノアの別名

ウトナピシュティム(英語名)

ノア(ユダヤ名)

アトラ・ハシース(アッカド語)

ジウスドラ(シュメル語)

クシストロス(ギリシャ語)

伏羲(中国語)


 これはそれぞれの言語で呼ばれた「あだ名」だと考えられ、それぞれの言語により意味がある事が多くあります。


 しかし思い出して欲しいのが、少し前まで日本でも「ハナ」など単純な「名詞」から名前がついていましたよね!


 特に生きていく上で名前など重要では無い事を物語っています。(貴族は別ですよ。)



 たとえば小野篁などは生まれた地に「篁山(たかむらやま)」があった為だと思われ、とは「竹の林(竹が多く生い茂るところ)」を意味します、要するに竹の多く生えた山の近くで生まれたから「小野篁」という「通称」を名乗っただけなんです。(小野篁の諱=本名は分かっていません。)



 いっけん「かっこいい」ので誤解されがちですが、単純なものなんですよね。


 小野小町なども姉に「大町or町」がいたからなどと色んな説がありますが、私が特定した初代の小野小町が采女として上がった時に、「小野(相模、今の厚木市)」で生まれ育った為に、氏名と同じである地名は名乗れないので、母方の家がある「小町(鎌倉市の)」を名乗った事に由来していました。


 この様に我々が思っているよりも、名前についてはあまり重要ではないと考えられるため(王様なのに…)、系図として残す時に人物のイメージから記録者が創作したものが残っていると考えられます。


 私が伏義ノアというのも、現代人の印象では「」ではありますが、そもそも名前を名乗っていなかった可能性も高いと思いますので、後から誰かが「伏義」と名付けたから、それを名前と認識しているだけになります。


 本を読んでいても、今回書いているようなものは読んだ事がありませんので、本職の人からすれば「先行研究の無いものは触れない!」というタブーにあたるのではないかと思います。


 だからアマチュアの方が早く実績を出せる理由にもなると思います。(タブーが無いので。)


 誰もアマチュアを擁護してくれませんから恐れている方もあるかも知れませんが、情報の担保、正確性など一定の要件を満たせば評価されると思います。(実績と内容が全てを物語る!?)


 今回は王様の名前なのに、色々と変わるのはオカシイって思っている方への「思い込み」を払拭しようと思いました。


 ついでにですが、シュメル語アッカド語を記録した「楔形文字」は「日本人の文字では無い」のだと思っています。


 日本人の文字は「ウルク古拙文字」であり、王が日本人の場合でも他の種族が記録したものが楔形文字だと思っています。(だから名前が現地の言葉になる。)


 明らかにメソポタミアから来た日本人は楔形文字を残していません(ウルク古拙文字は残しています。)、つまり楔形文字を使っていなかった可能性が高いと思います。(私が知る限りで、今のところですが。)


 この様に細かい解釈が雑にやっているせいで多く残っています、しかし私がしなくても同じ考えに至った人ならば、同じ疑問をもって当然かとも思います。


 定説にする為にはこの様な作業を多くの人がする様になって初めて定説になります、私が生きている内に定説になるのがどれ程難しい事か理解して貰えたと思います。

m(_ _)m


 龍海