鳥取・島根に旅行して研究を忘れると、逆に気付く事がありました。
長髄彦がウガヤフキアエズや神武天皇を「日向族が!」となぜ怒っていたのか?
卑弥呼をなぜアーリア人と呼んだのか?
漠然とながら分かってきた気がします。
人々が暮らす土地は、人口にくらべスカスカだったので支配地による対立は無かったハズです。(稲作が広まっていっていたとしても、領土争いにはならなかった。)
なので古代の日本の部族間の対立点は「宗教」にあったと考えました。(食料や言語などではなく、宗教。)
部族と宗教の関係ですが、
徐市・・・神道(道教)
国常立尊・・・神道・ユダヤ教のハーフ
国狭槌尊・・・神道(道教)
①多くの倭人 神道(道教)
※道教は黄帝が祖である様です、黄帝とは徐市のご先祖になります、徐市が道教なのは当然だと思います。祖先信仰。八百万神。神仙思想。龍神信仰。
②ドラヴィダ人系 元々はヒンズー教かな?
→塞の神(道祖神)
クナト王と幸姫と猿田彦の三人を神様と仰ぐ集団。部族連合国家。狗奴国。
塞の神になったのはヒンズー教から改宗させられた為、祖先神として3人を祀りだしてからかも知れません。
③アーリア人系① ユダヤ教(ヤハウェ)
※日本人と同化してヤハウェ=天御中主と置き換えて信仰していた様に思えます。
※シャカ族がアーリア人系だとする説も強いので、それが正解の様に思います。大山祇のサクラウチがシャカ族じゃないかと思います。(まだ検証出来てませんが。)
※シャカ族は仏教では無かったハズです。(お釈迦様はシャカ族の出自ですけどね。)
④アーリア人② ユダヤ教(ヤハウェ)
天佐登美命を生んだ有力な部族があるんだと思います。
私も前に書きましたが、「卑弥呼」が日本の祭祀の仕方を統一したと思います。(千人の端女が各部族の巫女、卑弥呼の時代は70国ほどが合流していて、30国はまだ反発していた事が魏志倭人伝に書かれています。)
そしてその祭祀の仕方は「古代ユダヤ教」と同じな訳ですから、卑弥呼=ユダヤ教=アーリア人というのも正しい様です、しかし信仰する神様は日本の神様なのが違う所なんでしょうね。(神様は日本人。ヤハウェを信仰している訳ではない。)
また千もの部族が統一されたなら、ほとんどの部族(70国)ほどは、同じ宗教感による統一部族になったのだと思います。(つまり部族の違いとは神様が違うということ。氏神の始まり。)
残り30国ぐらいは独自の神様を祀り、中でも激しく対立していたのが狗奴国(クナト王の直系)で後の熊襲だったのだと思います。
んじゃ、神武天皇〜懿徳天皇まで殺されたのは?
天神地祇を神武天皇は分けました、天つ神の中でも宗教が分かれていたからですよね、ズバリ!ユダヤ系日本人が「地神」だと思います。
先祖伝来の宗教から他種族のユダヤ教(日本に永くいたせいでユダヤ教といっても既に和風化していたのだと思います。)に改宗したのが素盞鳴尊ならば、天神からみて地神に落ちたなどという表現も宗教的な意味なら理解できますね。
だから素盞鳴尊はユダヤ教(日本風な)を信仰していたことになります、大山積や大山祇はハーフで神道とユダヤ教の両方を信仰してたんでしょうね、なので天神とは神道(道教)を信仰する者達を意味していたと思います。(それが国狭槌尊の系譜と重なるので血筋と勘違いしてしまったと思います。)
恐らく神武天皇の天神王家は他部族に対して改宗を迫っていた可能性が高いと思います、それに反発されて殺されていたと考えると、地神女王による統治で反発を回避していた理由も理解できるというものです。
朝鮮半島はクナト王系が多いと思われ、日本との距離感が離れていった可能性が高いのかも知れません、またクナト王もユダヤ寄りの宗教感をもっていた可能性もあると思います。(猿[猿田彦]は太陽神の神使なので、太陽信仰をもっていたハズで、ユダヤ系の宗教感を取り込んでいた可能性は高いと思います。)
古代部族の宗教が鍵を握るといって良さそうですよね、だから各地に残る宗教感を丁寧に調べると、どの部族がどこに居たのか分かるのかも知れないですね。(神社には微妙に、統一前の宗教感を残しているハズです。)
とりあえず、龍神信仰はシャカ族かドラヴィダ人(インド系)のような気がします、瀬織津姫が龍神なのや、大己貴命の出雲も龍神信仰なのは稲田姫の影響だと言えるからです。(だって素盞鳴尊は和風ユダヤ教ですから。)
そこから導かれる推論はシャカ族は弓月国→インド国を経由した日本人では?と思います、天御中主の系譜がインドに入った後に日本へと戻ってきた可能性です。
だから国常立尊と合流して地神になったと考えます。
まだインスピレーションの段階ですが、この発想は正しいと思います。
しかし部族と宗教の関係を調べるのはホネでしょうね!?
龍海